湯殿山資料写真と解説(3)
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| 出羽三山関連写真 湯殿山
[3] 大日坊、注連寺 (これらの寺は、芭蕉の旅のコースに含まれていません) |
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湯殿山大日坊。 真如海上人の即身仏を安置することで知られる大日坊。弘法大師空海の開山と伝えられ、正式には湯殿山瀧水寺金剛院大日坊と号する。本尊は、湯殿山の本地仏阿弥陀如来。 |
| 湯殿山大日坊。 大日坊は、湯殿山別当四ヶ寺の一つで、湯殿山が女人禁制であったことから、女人の湯殿山遥拝所(遠いところから拝むところ)として繁栄した。「大日坊」を号するのは、旧本堂が「大日坊」と称する瀧水寺の本坊であったことに因る。大日坊は、かつてこの南方500mほどのところにあったが、地すべりで被害に遭ったことから、昭和12年(1937年)現在地に移転し再建された。 |
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湯殿山大日坊。 羽黒山第50代別当執行天宥は、出羽三山の再建のため、真言の宗風にあった三山を徳川家が帰依した天台宗に改宗し、天台による三山の統一を目指したが、大日坊など湯殿山別当真言四ヶ寺はこれに与(くみ)せず、羽黒山と対立した。明治政府の神仏分離政策にあっては、大日坊は注連寺とともにこれに応じず、仏道を貫いて現在に至っている。 |
湯殿山注連寺。 六十里街道に面する注連寺・七五三掛(注連掛)口は、大日坊の大網口とともに「八方七口」の一つとして知られ、また、大日坊と同じく、女人の湯殿山遥拝所として繁栄したところ。曽良随行日記の6月7日の条に、当地のことが「御前(湯殿山のご神体)ヨリスグニ、シメカケ(七五三掛)・大日坊へカヽリテ鶴ヶ岡ヘ出ル道有」と書かれている。 |
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| 月山文学碑と森敦文庫。 森敦が、昭和26年(1951年)晩夏から翌年の春にかけて注連寺に滞留。この間の経験をもとに小説「月山」を書き上げた所以から、昭和56年(1981年)、境内地に「月山文学碑」が建立された。右側の建物は、昭和61年に開設の「森敦文庫」。 |
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俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
総合目次
第24集 芭蕉と出羽三山
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