| 出羽三山について |
芭蕉を迎えた羽黒山 芭蕉が、羽黒を訪れたのは元禄2年(1689年)、天宥の死から15年後のことである。芭蕉一行は、6月3日、出羽三山の門前集落・手向(とうげ)に到着後、図司呂丸の案内で、日の落ちた羽黒山参道を登り南谷にたどり着いた。 |
| 芭蕉庵桃青桃青拝 |
| 羽黒山別当執行不分叟天宥法印は、行法いみじききこ(聞)え有て、止観円覚の仏智才用、人にほどこ(施)して、あるは山を穿、石を刻て、巨霊が力、女 其玉や羽黒にかへす法の月 元禄二年季夏 ○芭蕉真筆「天宥法印追悼句文」 芭蕉真筆「出羽三山短冊」 |
出羽三山の神仏分離について それから約180年を経て幕府が倒れると、維新政府は、奈良、平安の昔から続いた神仏習合の習いを打ち崩し、神社施設から仏教に関わる一切を排除する施策を打ち出した。これにより、神社から寺院や仏像が取り払われ、神を菩薩や権現などの仏語で表すること、僧形にて奉仕することなどが禁じられた。 |
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【本文監修】 出羽三山神社
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俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
総合目次
第24集 芭蕉と出羽三山
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