| 出羽三山にある芭蕉関連の碑 |
| 手向および出羽三山にある芭蕉関連の石碑等を掲載しています。 写真をクリックすることで320x240サイズでご覧いただけます。 |
手向集落内の碑 |
| No | 句碑所在地 | 句 碑 | 句碑について |
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芳賀兵左衛門邸の裏山 雲のみねいくつ崩れて月の山 本句の左右に、次の其角と嵐雪の句を刻む。 辰霜や鳳尾の印それよりは 其角 抜たりなあはれ清水の片わらし 嵐雪 芳賀兵左衛門は、「曽良随行日記」6月12日の条の脇に、覚書きとして記された人物の一人。当時、本坊に仕えていた上級職の僧で「文殊坊」を号した。「三山雅集」を著した呂丸の弟子呂笳は兵左衛門の子。 |
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烏崎稲荷神社境内 [呂丸追悼碑] 当帰より哀は塚のすみれ草 元禄6年の作。「蕉翁句集草稿」に「此句、自筆に、出羽の図司呂丸を悼、と前書有」と付記。本句の左右に、次の句を刻む。 (辞世) 消安しの都の土ぞ春の雪 呂丸 死に来てそのきさらぎの花の陰 野盤子(支考) 雁一羽いなてみやこの土の下 酒落堂(酒堂) 呂丸は、芭蕉の元禄5年2月8日付書簡にあった「存命のうちにもう一度お目にかかりたい」の言葉に応じて、同年8月に江戸に出向き、芭蕉と3年ぶりの再会を果した。その後、引き続き、美濃、伊勢と西国を旅した呂丸は、元禄6年、京都に去来を尋ねたが1月半ばごろ病に倒れ、2月2日当所で客死した。本句は、芭蕉が元禄6年、呂丸に手向けた追悼の句。 ○芭蕉と呂丸との関わりについて |
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宿坊「大進坊」 凉しさやほの三日月の羽黒山 加多羅禮努湯登廼仁奴良須當毛東迦那 (かたられぬゆどのにぬらすたもとかな) 雲の峯いくつくつれて月の山 大正11年(1922年)に建立。かつて、月山旧登山道の通り道にあたる野口に建てられていた三山三句碑(昭和40年羽黒山頂に移転)を模刻したもの。 大進坊は、桜小路にある宿坊で300年以上の歴史を刻む。その庭先に上の句碑がある。手向には、現在30数軒の宿坊があり、講中(講を結んで参拝する団体組織)や一般参拝者の宿泊所として利用される。 |
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三山大愛教会「長円坊・長伝坊」 [天宥別当追悼句文碑] 無玉や羽黒にかへす法の月 平成元年6月建立。本碑の裏に追悼文を刻む。以下は、説明板からの抜粋。 この句文碑は、元禄二年六月三日(一六八九年)芭蕉が「奥の細道紀行」の途次羽黒の俳人図司呂丸の案内で羽黒山南谷に宿し別当代会覚阿闍梨(和合院照寂)に謁して特別の待遇を受け、羽黒山、月山、湯殿山の登拝を終え離山に当って出羽三山の繁栄ここにあるは羽黒山中興の祖第五十代別当天宥法印の偉大な事蹟にも拘らず伊豆の新島に流島となり帰山することなく遷化されたその身の不運を惜み偲んで羽黒に書き残されたものである。(説明板より) 本碑の右脇に、次の三山三句を刻む碑がある。 涼風やほのミか月の羽黒山 雲の峯いくつ崩れて月の山 かたられぬゆどのにぬらす袂かな |
| 羽黒山参道周辺の碑 |
| 羽黒山頂上の碑 |
| No | 句碑所在地 | 句 碑 | 句碑について |
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出羽神社境内 [芭蕉野口(三山)句碑] 凉しさやほの三日月の羽黒山 加多羅禮努湯登廼仁奴良須當毛東迦那 (かたられぬゆどのにぬらすたもとかな) 雲の峯いくつくつれて月の山 この句碑は、月山旧登山道の通り道にあたる野口に、文政8年(1825年)建立された所以で、「芭蕉野口(三山)句碑」と呼ばれる。建立者は、羽黒山第七十五代別当の覚諄。現在地に移されたのは、昭和40年(1965年)。 句碑の左隣に、昭和48年(1973年)6月、山寺の芭蕉像と同じ山形市の鈴木伝六氏が建立した芭蕉像が見られる。 |
| 月山頂上の碑 |
| No | 句碑所在地 | 句 碑 | 句碑について |
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月山山頂 雲の峯幾つ崩て月の山 湯殿山への下り坂に掛かるところに建つ。芭蕉の月山登拝270年を記念して昭和33年(1958年)7月に建立。山形美術博物館所蔵の短冊をもとに真蹟を銅板に刻し、石にはめ込んだもの。建立から半世紀を経た今、厳しい自然の営みによって最上部の尖がりが破られ、平らになってしまった。 碑陰に次の文字を刻する。 芭蕉翁登拝二百七十年記念 昭和三十三年七月廿三日建之 山形市七日町 松風屋主人 佐々木一郎 (以下略) |
| 梵字川河畔の碑 |
| No | 句碑所在地 | 句 碑 | 句碑について |
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湯殿山本宮参拝口の手前 語られぬ湯殿にぬらす袂かな 昭和30年(1955年)10月の建立。揮毫は小宮豊隆。 芭蕉句碑と並んで、曽良の「湯殿山銭ふむ道の泪かな 」の句碑がある。こちらは、昭和39年(1964年)10月に建立で、素龍本「おくのほそ道」の文字を刻印している。 ○芭蕉と曽良の句碑 |
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俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
総合目次
第24集 芭蕉と出羽三山
スタートページ
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