資料写真と解説 羽州街道界隈(1)
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| 芭蕉が通った羽州街道(旧国道13号線)界隈(1) 尾花沢市−村山市−東根市−天童市 |
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宿を貫いた羽州街道。 [南=手前] 尾花沢市上町。常信寺門前から撮影。羽州街道はこの位置から中町十字路まで1km以上にわたり真っ直ぐに延びている。下は常信寺の向かい側、上町観音堂にある村川素英の墓碑。 ![]() |
| 村山市金谷・尾上の松。 [南=右] 本飯田との境目、金谷地区の北詰にある樹齢約600年の名松。もとは雌雄二株あって「相生の松」として旅人の足を止めたが、大正12年(1923年)に雄株が雪で折れ、同年植え継がれた。かつての羽州街道は、この付近で約1.8kmに渡り現国道13号線と重複し、その姿を消している。 |
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村山市楯岡北町。 [南=奥] 金谷、林崎を過ぎて北町に入る辺りから、正面に楯山が見えてくる。かつて楯岡城が築かれた山で、楯岡城は、承元2年(1208年)に前森今嶺が築城したのに始まる。元和4年(1618年)、山形城主最上義光の弟・光直が入ったが、4年後の最上家改易で取り壊され最後の城主となった。 |
| 村山市楯岡・切通し(1)。 [南=奥] 現在は、写真に見るような「切通し」に開削されているが、昔は、二日町と晦日町の境目にあった岩山が、羽州街道の通行を困難にした。切通しの工事が初めて行われたのが元禄・享保の頃とされているので、芭蕉一行が通過した時点では、まだ岩山のままだった可能性が高い。 |
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村山市楯岡・切通し(2)。 [南=手前] 切通しの工事は、安永9年(1780年)、寛政年間(1789〜1801)と引き続き行われ、現在の姿となって完成したのは、明治になってからだった。それ以前は、山を越えるか、または西側に迂回していた。 |
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俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
総合目次
第22集 芭蕉と尾花沢
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