奥州上街道資料写真と解説(2)
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| 奥州上街道に芭蕉の足跡を訪ねて
[2] 栗原市岩ヶ崎 → 栗駒と一迫の境目・祠堂ヶ森「芭蕉衣掛け松」 → 一迫の真坂 |
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岩ヶ崎・六日町通り。 金成と栗駒の境目から岩ヶ崎まで3km余りで、上街道はこの間、県道に沿うように続いている。天和2年(1682年)の絵図から、当時の町並みが現在とほぼ同じであることが分かっているので、上街道は、県道と同じ道筋で末町、四日町、八日町を通過して駅前交差点に至り、20mほど栗駒駅方向に行ったのち、右左に向きを変えながら六日町と茂庭町を通過したものとみられる。 |
| 芭蕉衣掛けの松。 二迫川を渡って200mばかり南下し、県道・築館栗駒公園線との分岐点から700mほど行ったところに「芭蕉衣掛けの松入口」の標柱がある。この先が祠堂ヶ森(志登ヶ森)への道、すなわち上街道で、この道を1500mほど行くと、芭蕉が衣を掛けて一休みしたという松がある。現在、当時の松は枯れて切り株を残すのみだが、傍らに幼松が植え継がれている。 |
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| 真坂の秋葉神社。 元禄2年当時、真坂は城を上真坂・上台に構える富塚出雲重長が所領したが、享保3年(1718年)に領地没収となり、その後白河氏の所領となり幕末まで続いた。白河氏は奥州白河の城主で、宗広の代になって伊達家一門に名を連ねた。 写真は、真坂・御免角の北詰に鎮座する秋葉神社。 |
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秋葉神社の芭蕉・時雨塚。 この塚は、寛政12年(1800年)の建立で、地元の俳人午夕の門弟が次の句を刻んで「時雨塚」としたもの。 今日ばかり人も年寄れ初時雨 ばせを 野は仕付けたる麦の新土 許六 春も時にとりてやしぐれ塚 午夕 芭蕉の「今日ばかり」の句は、元禄5年(1692年)10月3日に許六の江戸旅亭(彦根藩邸)で開かれた五吟歌仙における発句。 |
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俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
総合目次
第21集 芭蕉と出羽越え
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