最上町資料写真と解説(3)
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| 山刀伐峠越の道
[2] 赤倉 → 整備済旧道 → 一刎 → 山刀伐峠登山口→ 峠越えの道→ 山頂へ |
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赤倉・日山 小国川を徒渡(かちわた)りした芭蕉一行は、その後、岸から真っ直ぐに進み、かつて阿部旅館と旅館三之丞の間にあった坂道を登り裏山(日山)へ向かった。現在、坂道は途絶えているが、「一本橋」を渡りきった先の坂道から山刀伐峠越の旧道に至ることができる。整備済旧道の東端に「山刀伐峠越」の標柱(下の写真)が建っている。 |
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赤倉・歴史の道。 赤倉から山中に入った芭蕉一行はここから山を下り、山裾の道を西に進んだ。旧道は、赤倉スキー場の入口から車で数分西へ行った位置で県道に合流し、山刀伐峠の登山口まで同じ道筋をたどる。 |
| 一刎(ひとはね)。 曽良の随行日記に「一バネト云山路ヘカヽリ、・・・」と書かれた人刎.。一刎は「ヒトハネ」と読む。赤倉温泉から山刀伐峠の登山口まで4km近くあり、一刎はその中間に位置する。下の写真は一刎から山刀伐峠に続く県道。 ![]() |
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山刀伐峠登山口。 写真中央に見える標柱の右隣に説明板があり、その右側が登山口になっている。写真左の旧県道から頂上まで車で行くこともできる。現在の県道は、写真の右方向にあるトンネルを抜けて尾花沢に通じている。 ○地図で見る最上町側の峠越え |
| 峠越えの道。 現在は、道が整備され登りやすくなっているので、「おくのほそ道」に描かれている登坂の場面が誇張されたものと思われがちだが、峠越えの道が改修され一般道として利用されはじめたのは嘉永4年(1851年)以降のことであり、それまでは、土地の人が山稼ぎに利用する程度で、獣道に近いものだった。従って、急勾配の山腹を笹や雑木に捕まりながら行われた峠越えは難儀を極むものだったろうと思われる。 |
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山刀伐峠の森。 芭蕉のころに原生していたブナの古木は、第二次世界大戦のとき軍事利用のために伐採され残っていない。むかしは「おくのほそ道」にあるように「木の下闇茂りあひて夜る行がごとし。」といった森ができていたのだろう。 |
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俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
総合目次
第21集 芭蕉と出羽越え
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