山寺資料写真と解説(5)
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芭蕉と曽良の像。 根本中堂からやや西に行ったところに芭蕉(奥)と曽良(手前)のブロンズ像がある。2つの像の間に見えるのが芭蕉句碑で、写真右下の石碑は、曽良像の建立者が建てた由緒碑。 |
| 芭蕉像。 出羽越えを果した芭蕉一行は、当初、鈴木清風の里・尾花沢から直接大石田に旅立つ予定であったが、滞在中、山寺の参詣を強く勧められ、元禄2年(1689年)5月27日(新暦7月13日)羽州街道を南下した。 山形領に立石寺と云山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊清閑の地也。一見すべきよし、人々のすゝむるに依て、尾花沢よりとつて返し、其間七里ばかり也。 (おくのほそ道) |
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曽良像。 芭蕉像は、昭和47年(1972年)の建立で、曽良の像は、「おくのほそ道」紀行300年を記念して平成元年(1989年)に建てられた。 ○河合曽良について |
| 芭蕉句碑。 閑さや岩にしみ入る蝉の声 「おくのほそ道」には山寺の句として上の句が記されたが、その初案にあたる句が曽良の「俳諧書留」(山寺や石にしミつく蝉の聲)や風国撰の「初蝉」・「泊船集」(さびしさや岩にしみ込蝉の声)に見られる。 ○芭蕉句碑拡大 |
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日枝神社・手水盤。 日枝神社の前に「手水盤」があり、その説明板に、芭蕉が山寺を訪れた10年後、日枝神社に寄進されたもので、寄進者の筆頭に「預里(あずかり)」と彫られているとあり、その「預里」については「麓の坊であり宿坊なのである」と説明されている。 ○芭蕉の宿泊先について |
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俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
総合目次
第1集 芭 蕉 と 山 寺
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