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| 武隈の松の章段 |
| 【出典】 俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡 第10集「芭蕉と岩沼」 [文学館目録] |
| おくのほそ道 | 現代語訳 |
| 武 隈 の 松 | |
| 岩沼に宿る。 武隈の松にこそ、め覚る心地はすれ。根は土際より二木にわかれて、昔の姿うしなはずとしらる。先能因法師思ひ出。往昔むつのかみにて下りし人、此木を伐て、名取川の橋杭にせられたる事などあればにや、「松は此たび跡もなし」とは詠たり。代々、あるは伐、あるひは植継などせしと聞に、今将、千歳のかたちとゝのほひて、めでたき松のけしきになん侍し。 「武隈の松みせ申せ遅桜」と挙白と云ものゝ餞別したりければ、 桜より松は二木を三月越し |
岩沼に宿をとった。 武隈の松の見事さに、まったく目が覚めるような心地がした。根は土際から二つに分かれていて、昔から伝えられている姿を失っていないことがわかる。真っ先に能因法師のことを思い出す。その昔、陸奥守として当地に下った人が、この松の木を伐って名取川の橋杭にされたことがあったからだろうか、能因法師は「松は、このたび来てみると跡かたもなくなっている」と詠んでいる。代々にわたって、あるいは伐り、あるいは植え継ぎなどをしたと聞いていたのに、今また、松の木千年といわれる通りの木立ちとなっていて、立派な松の様子であった。 「遅桜よ、わが師が奥州に赴かれたら、是非とも武隈の松をお見せしなさい」と、挙白という者が江戸を出立の折に句を贈ってくれたので、これに応えて、 桜よりも、私を待っていてくれたのは二木の松で、三月越しにようやく見ることができましたよ。 |
| 芭蕉と岩沼「芭蕉について-なぜ岩沼と名取が逆転したか」参照 | |
| 曽良随行日記 (岩沼) | |
| 元禄2年(1689年)5月4日(新暦6月20日) | |
| 原 文 | 現代語 |
| 一 四日 雨少止。辰ノ尅、白石ヲ立。折ゝ日ノ光見ル。岩沼入口ノ左ノ方ニ竹駒明神ト云有リ。ソノ別当ノ寺ノ後ニ武隈ノ松有。竹がきヲシテ有。ソノ辺、侍やしき也。古市源七殿住所也。 ○笠島(名取郡之内)、岩沼・搏c之間、左ノ方一里計有。三ノ輪(箕輪)・笠嶋と村並テ有由、行過テ不見。 |
一 四日 雨少し止む。午前8時頃、白石を立つ。折ゝ日の光見る。岩沼入口の左の方に竹駒明神という神社有リ。その別当の寺(竹駒寺)の後に武隈の松有り。竹垣をして有る。その辺、侍やしき也。古市源七殿(岩沼館主・古市源吉のこと)の住所也。 ○笠島(名取郡の内)、岩沼と増田の間、左の方一里ばかりに有り。箕輪と笠島の村、並んで有るというが、行き過ぎて見ず。 |
本文・曽良随行日記の現代語訳および句の解釈
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曽良随行日記は「俳聖
松尾芭蕉・みちのくの足跡」のシリーズ「芭蕉について」からそのまま
転記しています。
ただし、章段によっては、滞在日に合わせて元のテキストを分割して掲載しているのもあります。
俳聖
松尾芭蕉・みちのくの足跡
第10集 芭蕉と岩沼
底本について
「おくのほそ道」の本文は、素龍清書の「西村本」を底本としています。
句読点や章段ごとの見出しは「俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡」
の中で任意に付したものであり、
「おくのほそ道」の本文に存在するものではありません。
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