| おくのほそ道 | 現代語訳 |
| 笠 島 | |
| 鐙摺・白石の城を過、笠嶋の郡に入れば、藤中将実方の塚はいづくのほどならんと人にとへば、是より遥右に見ゆる山際の里をみのわ・笠嶋と云、道祖神の社・かた見の薄今にありと教ゆ。此比の五月雨に道いとあしく、身つかれ侍れば、よそながら眺やりて過るに、蓑輪・笠嶋も五月雨の折にふれたりと、 笠嶋はいづこさ月のぬかり道 |
鐙摺や白石城下を通り過ぎて笠島郡に入ったので、かの藤中将実方の墓がどこにあるのだろうと思い人に尋ねてみると、「ここから遥か右に見える山の際にある里を箕輪・笠島と言い、道祖神の社やかた見のすすきが今も残っています」と教えてくれた。このところ降り続いている五月雨のために道がぬかるんで、体も疲れきっていたので、離れたところから眺めて通り過ぎてしまったのだが、「蓑」の箕輪や、「笠」の笠島は、五月雨の季節にちょうど合った地名であることに感じ入り、一句詠んだ。 実方ゆかりの笠島はどの辺りなのだろうか。五月の雨でぬかるんだこの道では、尋ねていくこともできない。 |
| ○「芭蕉と岩沼」の「芭蕉について-なぜ岩沼と名取が逆転したか」参照。 | |
| 曽良随行日記 (白石・名取) | |
| 元禄2年(1689年)5月3日(新暦6月19日)〜5月4日(新暦6月20日) | |
| 原 文 | 現代語 |
| 一 三日 雨降ル。巳ノ上尅止。飯坂ヲ立。桑折(ダテ郡之内)ヘ二リ。折々小雨降ル。 一 桑折トかいた(貝田)の間ニ伊達ノ大木戸ノ場所有(国見峠ト云山有)。コスゴウトかいた(貝田)トノ間ニ福島領(今ハ桑折ヨリ北ハ御代官所也)ト仙台領(是ヨリ刈田郡之内)トノ堺有。左ノ方、石ヲ重テ有。大仏石ト云由。さい川(斎川)ヨリ十町程前ニ、万ギ沼・万ギ山有。 ソノ下ノ道、アブミコブシト云岩有。二町程下リテ右ノ方ニ次信・忠信が妻ノ御影堂( 1 2)有。同晩、白石ニ宿ス。一二三五。 一 四日 雨少止。辰ノ尅、白石ヲ立。折ゝ日ノ光見ル。岩沼入口ノ左ノ方ニ竹駒明神ト云有リ。ソノ別当ノ寺ノ後ニ武隈ノ松有。竹がきヲシテ有。ソノ辺、侍やしき也。古市源七殿住所也。 ○笠島(名取郡之内)、岩沼・搏c之間、左ノ方一里計有。三ノ輪(箕輪)・笠嶋と村並テ有由、行過テ不見。 |
一 三日 雨降る。午前9時半頃止む。飯坂を立つ。桑折(伊達郡の内)へ二里。折々小雨降る。 一 桑折と貝田の間に伊達の大木戸の場所有り(国見峠という山有り)。越河と貝田との間に福島領(今は桑折より北は御代官の所也)と仙台領(是より刈田郡の内)との国境有り。左の方、石を重ねて有り。大仏石という由。斎川より十町程前に、馬牛沼・万牛山有り。 その下の道、鐙こぶし(鐙摺石)という岩有り。二町程下って右の方に次信(継信)・忠信の妻の御影堂(甲冑堂)有り。同晩、白石に宿す。一二三五。 一 四日 雨少し止む。午前8時頃、白石を立つ。折ゝ日の光見る。岩沼入口の左の方に竹駒明神という神社有リ。その別当の寺(竹駒寺)の後に武隈の松有り。竹垣をして有る。その辺、侍やしき也。古市源七殿(岩沼館主・古市源吉のこと)の住所也。 ○笠島(名取郡の内)、岩沼と増田の間、左の方一里ばかりに有り。箕輪と笠島の村、並んで有るというが、行き過ぎて見ず。 |
| ◇一里:約4km ◇一丁(町):約109m ◇一間:約1.8m | |
本文・曽良随行日記の現代語訳および句の解釈
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曽良随行日記は「俳聖
松尾芭蕉・みちのくの足跡」のシリーズ「芭蕉について」からそのまま
転記しています。
ただし、章段によっては、滞在日に合わせて元のテキストを分割して掲載しているのもあります。
俳聖
松尾芭蕉・みちのくの足跡
第6集 芭蕉と白石
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第7集 芭蕉と名取
底本について
「おくのほそ道」の本文は、素龍清書の「西村本」を底本としています。
句読点や章段ごとの見出しは「俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡」
の中で任意に付したものであり、
「おくのほそ道」の本文に存在するものではありません。
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