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| 那須野・黒羽・雲巌寺の章段 |
| 【出典】 俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡 第19集「芭蕉と那須野が原」 [文学館目録] |
| おくのほそ道 | 現代語訳 |
| 那 須 野 | |
| 那須の黒ばねと云所に知人あれば、是より野越にかゝりて、直道をゆかんとす。遥に一村を見かけて行に、雨降日暮る。農夫の家に一夜をかりて、明れば又野中を行。そこに野飼の馬あり。草刈おのこになげきよれば、野夫といへどもさすがに情しらぬには非ず。「いかゞすべきや。されども此野は縦横にわかれて、うゐうゐ敷旅人の道ふみたがえん、あやしう侍れば、此馬のとゞまる所にて馬を返し給へ」と、かし侍ぬ。ちいさき者ふたり、馬の跡したひてはしる。独は小姫にて、名をかさねと云。聞なれぬ名のやさしかりければ、 かさねとは八重撫子の名成べし 曽良 頓て人里に至れば、あたひを鞍つぼに結付て、馬を返しぬ。 |
那須の黒羽というところに、知人がいるので、ここから那須野の原に足を踏み入れ、近道をして真っ直ぐ行くことにする。はるかに一つの村を見かけて行くうちに、雨が降り出し、日も暮れてしまった。農夫の家に一夜を借り、夜が明けてまた野中を歩いて行く。その途中に、野原に放し飼いの馬がいた。草を刈る男に、馬を貸してくれるよう嘆いたのだが、いなかの百姓とはいえ十分に温情のある人だった。男は、「どうしましょうか。馬を使わないで行くとしても、この野原は縦横に道が分かれ、歩き慣れない旅人は道を踏み違えるでしょう。心配ですので、この馬で行って、止まったところで馬を返してくさだい」と言って、馬を貸してくれた。小さい子供が二人、後を追って走ってくる。そのうちの一人は小さい娘で、名を「かさね」という。聞き慣れない名前だが、優美で風情のある響きがあるので、曽良が一句したためた。 このような片田舎で、思いもよらず、なかなか上品で美しい響きの「かさね」という名の小さい娘に出会った。花なら、さしずめ、花びらが重なって美しい八重撫子の名と言ったところであるよ。 やがて人里に至り、お礼のお金を鞍つぼに結わえ付けて、馬を返したのだった。 |
| 黒 羽 | |
| 黒羽の館代浄坊寺何がしの方に音信る。思ひがけぬあるじの悦び、日夜語つゞけて、其弟桃翠など云が、朝夕勤とぶらひ、自の家にも伴ひて、親属の方にもまねかれ、日をふるまゝに、日とひ郊外に逍遙して、犬追物の跡を一見し、那須の篠原をわけて玉藻の前の古墳をとふ。それより八幡宮に詣。与一扇の的を射し時、「別しては我国氏神正八まん」とちかひしも此神社にて侍と聞ば、感應殊しきりに覚えらる。暮れば桃翠宅に帰る。 修験光明寺と云有。そこにまねかれて行者堂を拝す。 夏山に足駄を拝む首途哉 |
黒羽の館代である浄坊寺何がしという人のところを訪ねた。思いがけない私たちの訪問に主人は喜び、日夜語りつづけた。その弟の桃翠という人が、まめに来てくれたり、自分の家にも招き、親戚の家にも招待された。このようにして日が経つなかで、あるひ、郊外に散歩に出かけ、犬追物の跡を一とおり見たあとで、那須の篠原に分け入って玉藻の前の古い墓を訪ねた。それから金丸八幡宮に詣でる。那須与一が、平家方がかざした扇の的を射ようとしたとき、「別しては我国氏神正八まん」と誓って祈願したのもこの神社であると聞くと、ことさら、ありがたみを強く感じたのだった。日が暮れたので桃翠宅に帰った。黒羽には修験光明寺という名の寺がある。そこにまねかれて、高足駄をはいた役行者の像を祭る行者堂を参拝した。 みちのくへの長途の旅を前にして、北方はるかに連なる奥羽の山並をうかがいながら、役行者と高足駄に旅の無事と健脚を祈って手を合わせたのである。 |
| 雲 巌 寺 | |
| 当国雲岸寺のおくに佛頂和尚山居跡あり。 竪横の五尺にたらぬ草の庵 むすぶもくやし雨なかりせば と、松の炭して岩に書付侍りと、いつぞや聞え給ふ。其跡みんと雲岸寺に杖を曳ば、人々すゝんで共にいざなひ、若き人おほく道のほど打さはぎて、おぼえず彼梺に到る。山はおくあるけしきにて、谷道遥に、松杉黒く、苔したゞりて、卯月の天今猶寒し。十景尽る所、橋をわたつて山門に入。さて、かの跡はいづくのほどにやと、後の山によぢのぼれば、石上の小庵岩窟にむすびかけたり。妙禅師の死関、法雲法師の石室をみるがごとし。 木啄も庵はやぶらず夏木立 と、とりあへぬ一句を柱に残侍し。 |
この下野国の雲巌寺の奥に、仏頂和尚の山居跡がある。和尚は、「竪横の五尺にたらぬ草の庵むすぶもくやし雨なかりせば」と松の炭で傍らの岩に書き付けましたよ、といつぞや語っておられた。その跡を見ようと雲巌寺に行こうとすると、人々が進んで共に誘い合い、多くの若い人が道々にぎやかに騒ぎ、気が付けば山寺の麓に着いていた。山は奥深い景色であり、谷道は遥かに続き、松や杉はあたりを暗くし、苔はみずみずしく輝き、卯月というのに寒々としている。十景が尽きる所の橋を渡って山門に入る。さて、仏頂和尚の山居跡はどこにあるのかと、寺の背後の山によじ登ると、岩の上に、小さな庵が岩窟に立てかけるようにして築かれていた。中国の高僧妙禅師が「死関」の額を掲げて修行した洞穴や法雲法師が身を置いた大岩の上の居所を見るような思いがした。 さすがのきつつきも、仏頂和尚の結んだ山居だけはやぶろうとはしないようだ。こうして、うっそうとした木々の中に和尚が修行した庵を拝見することができたのはありがたいことだ、と感じ入り、取り敢えず一句を書いて柱に残したのだった。 |
| 曽良随行日記 (黒羽) | |
| 元禄2年(1689年)4月3日(新暦5月21日)〜4月16日(新暦6月3日) | |
| 原 文 | 現代語 |
| 一 同三日 快晴。辰上尅玉入(玉生)ヲ立。鷹内ヘ二リ八丁。鷹内ヨリヤイタヘ壱リニ近シ。ヤイタヨリ沢村ヘ壱リ。沢村ヨリ太田原ヘ二リ八丁。太田原ヨリ黒羽根ヘ三リト云ドモ二リ余也。翠桃宅、ヨゼト云所也トテ、弐十丁程アトヘモドル也。 一 四日 浄法寺図書ヘ被招。 一 五日 雲岩寺見物。朝曇。両日共ニ天気吉。 一 六日ヨリ九日迄、雨不止。九日、光明寺ヘ被招。昼ヨリ夜五ツ過迄ニシテ帰ル。 一 十日 雨止。日久シテ照。 一 十一日 小雨降ル。余瀬翠桃ヘ帰ル。晩方強雨ス。 一 十二日 雨止。図書被見廻、篠原被誘引。 一 十三日 天気吉。津久井氏被見廻テ、八幡ヘ参詣被誘引。 一 十四日 雨降リ、図書被見廻終日。重之内持参。 一 十五日 雨止。昼過、翁と鹿助右同道ニテ図書ヘ被参。是ハ昨日約束之故也。予ハ少々持病気故不参。 一 十六日 天気能。翁、館ヨリ余瀬ヘ被立越。則、同道ニテ余瀬ヲ立。及昼、図書・弾蔵ヨリ馬人ニテ被送ル。馬ハ野間ト云所ヨリ戻ス。此間弐里余。高久ニ至ル。雨降リ出ニ依、滞ル。此間弐里半余。宿角(覚)左衛門、図書ヨリ状被添。 |
一 同三日 快晴。午前7時半頃玉生を立つ。鷹内へ二里八丁。鷹内より矢板へ一里程。矢板より沢村へ一里。沢村より大田原へ二里八丁。大田原より黒羽へ三里というが二里余り。翠桃宅、余瀬という所にあり、二十丁程引き返す。 一 四日 黒羽藩城代・浄法寺図書(翠桃の実兄)に招かれる。 一 五日 雲巌寺見物。朝のうち曇り。両日共に天気よし。 一 六日より九日迄、雨止まず。 九日、光明寺ヘ招かれる。昼から午後8時頃迄滞在し帰る。 一 十日 雨止む。日、久しぶりに照る。 一 十一日 小雨降る。余瀬の翠桃宅へ帰る。晩方雨強く降る。 一 十二日 雨止む。図書来訪し、那須・篠原に誘われる。 一 十三日 天気良し。津久井氏来訪し、金丸八幡宮(那須神社)参詣に誘われる。 一 十四日 雨降リ。図書来訪し終日滞在。手料理の重箱を持参。 一 十五日 雨止む。昼過ぎ、翁と鹿助右同道にて図書を訪ねる。これは昨日交わした約束のため。私は持病で少々体調すぐれず不参。 一 十六日 天気良し。翁、浄法寺図書の館から余瀬の翠桃宅ヘ戻る。則して私同道で余瀬を立つ。昼に及び、図書・弾蔵より馬子(馬方)にて送られる。馬は野間という所より戻す。この間二里余り。高久に到る。雨が降リ出し、滞る。野間より二里半余り。覚左衛門宅に宿す。図書からの紹介状有り。 |
| ○「芭蕉と那須野が原」の「黒羽における芭蕉の14日間の足跡」参照。 | |
| ◇一里:約4km ◇一丁(町):約109m ◇一間:約1.8m | |
本文・曽良随行日記の現代語訳および句の解釈
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曽良随行日記は「俳聖
松尾芭蕉・みちのくの足跡」のシリーズ「芭蕉について」からそのまま
転記しています。
ただし、章段によっては、滞在日に合わせて元のテキストを分割して掲載しているのもあります。
俳聖
松尾芭蕉・みちのくの足跡
第19集 芭蕉と那須野が原
底本について
「おくのほそ道」の本文は、素龍清書の「西村本」を底本としています。
句読点や章段ごとの見出しは「俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡」
の中で任意に付したものであり、
「おくのほそ道」の本文に存在するものではありません。
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