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| 仏五左衛門・日光山の章段 |
| 【出典】 俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡 第18集「芭蕉と日光」 [文学館目録] |
| 「おくのほそ道」曽良句集 剃捨て黒髪山に衣更 (そりすてて くろかみやまに ころもがえ) | ||||
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[句碑建立地] 諏訪市 中洲福島 |
[句解釈] 黒髪を剃り捨てて墨染めの衣で行脚の旅に出たが、おりしも今日は四月の一日。衣更えの日をこの黒髪山の麓で迎えることになったとは。 |
| 「おくのほそ道」の日光の章段や貞亨3年(1686年)に書かれた芭蕉の句文「雪丸げ」から、曽良とのつきあいの一端をうかがい知ることができる。 曽良何某は、此のあたりちかく、かりに居をしめて、朝な夕なに訪(と)ひつ訪(と)はる。我くひ物いとなむ時は柴折くぶるたすけとなり、ちゃを煮る夜はきたりて氷をたたく。性隠閑をこのむ人にて、交金を断つ。あるよ、雪を訪(と)はれて、 きみ火をたけよき物見せむ雪まるげ ばせを (若人編「花膾」) 芭蕉が「『衣更』の二字力ありてきこゆ」と称えた「剃捨て黒髪山に衣更」(碑文は「剃捨てて黒髪山の故露もかへ」)の句碑は、当の黒髪山(男体山)がそびえる日光には無く、唯一、諏訪湖近くの中洲福島に建立されている。句碑は、曽良や同郷の俳人宮坂自徳などの句を刻む合同句碑として建てられている。 ○「芭蕉と旅立ち」の「曽良の生涯と墓所正願寺」参照。 |
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| おくのほそ道 | 現代語訳 |
| 仏五左衛門 | |
| 卅日、日光山の梺に泊る。あるじの云けるやう、「我名を佛五左衛門と云。萬正直を旨とする故に、人かくは申侍まゝ、一夜の草の枕も打解て休み給へ」と云。いかなる仏の濁世塵土に示現して、かゝる桑門の乞食順礼ごときの人をたすけ給ふにやと、あるじのなす事に心をとゞめてみるに、唯無智無分別にして、正直偏固の者也。剛毅木訥の仁に近きたぐひ、気禀の清質尤尊ぶべし。 | 三十日、日光山の麓の家に泊る。そこの主人が言ったことには、「私は名を仏五左衛門といいます。何につけても正直を信条としていることから、世間の人は仏などと申しておりますので、一夜の旅寝もくつろいでお休みになってください」という。どのような仏が、けがれたこの世にあらわれ、このような僧侶姿をした乞食、順礼などという者をお助けになるのかと、主人の振る舞いに心をとどめてみると、ただ智恵や分別を利かしているわけではなく、正直一点張りの人物であり、まさに、「論語」にある「剛毅朴訥仁に近し」を地でいくような人物で、この生まれつき清らかな気立ては、最も尊ぶべきである。 |
| 日 光 山 | |
| 卯月朔日、御山に詣拝す。往昔此御山を二荒山と書しを、空海大師開基の時、日光と改給ふ。千歳未来をさとり給ふにや。今此御光一天にかゝやきて、恩沢八荒にあふれ、四民安堵の栖穏なり。猶憚多くて筆をさし置ぬ。 あらたうと青葉若葉の日の光 黒髪山は霞かゝりて、雪いまだ白し。 剃捨て黒髪山に衣更 曽良 曽良は河合氏にして、惣五郎といへり。芭蕉の下葉に軒をならべて、予が薪水の労をたすく。このたび松しま・象潟の眺共にせん事を悦び、且は羈旅の難をいたはらんと、旅立暁髪を剃て墨染にさまをかえ、惣五を改て宗悟とす。仍て黒髪山の句有。「衣更」の二字力ありてきこゆ。 廿余丁山を登つて瀧有。岩洞の頂より飛流して百尺、千岩の碧潭に落たり。岩窟に身をひそめ入て瀧の裏よりみれば、うらみの瀧と申伝え侍る也。 暫時は瀧に籠るや夏の初 |
四月一日、日光山に参詣する。その昔、この御山を二荒山と書いたが、空海大師が開基の時に日光と改めなさった。千年後の将来を推しはかってのことだったろうか。今になって、ここ日光山東照宮のご威光が天下に輝き、そのお恵みは国の八方の果てまで行き渡り、士農工商の民がすべて安堵な暮しができ平穏である。なお、これ以上日光山にふれるのは恐れ多いので、このあたりで筆をおくことにする。 青葉や若葉に差し込む日の光は、この日光山が国の八方まで放つご威光そのもので、実に尊いものであるよ。 黒髪山は霞がかって、雪が今なお白く残っている。 黒髪を剃り捨てて墨染めの衣で行脚の旅に出たが、おりしも今日は四月の一日。衣更えの日をこの黒髪山の麓で迎えることになったとは。 曽良は河合氏で、名を惣五郎という。深川の芭蕉庵と軒を並べるようにして住み、家事の労を助けてくれている。このたび松島や象潟を共に眺めることを喜び、さらには旅の辛さをいたわってくれようとして共に旅立ち、その朝に黒髪を剃って墨染めの僧衣をまとって姿を変え、惣五を宗悟に改めた。このような経緯から黒髪山の句が作られた。「衣更」の二字に、本来の衣更えと行脚の決意が共に感じられ、力強く聞こえる。 二十余町山を登ったところに滝がある。くぼんだ岩の頂から、百尺ほども飛ぶかと思われる勢いで、多くの岩を畳んだ青々とした淵に落ち込んでいる。岩窟に身をひそめて入り込み、滝の裏から眺められるので、この滝を裏見の滝と言い伝えている。 轟く水音のみを聞いて滝裏にしばらくこもれば、雑念が払われ、まるで夏行の初めのような境地となるのである。 |
| 曽良随行日記 (日光) | |
| 元禄2年(1689年)4月1日(新暦5月19日)〜4月2日(新暦5月20日)・・・日光滞在 | |
| 原 文 | 現代語 |
| 一 廿九日 辰ノ上尅マヽダヲ出。 一 小山ヘ一リ半、小山ノヤシキ、右(左の誤り)ノ方ニ有。 一 小田(小山のこと)ヨリ飯塚ヘ一リ半。木沢ト云所ヨリ左ヘ切ル。 一 此間姿川越ル。飯塚ヨリ壬生ヘ一リ半。飯塚ノ宿ハヅレヨリ左ヘキレ、(小クラ川)川原ヲ通リ、川ヲ越、ソウシヤガシト云船ツキノ上ヘカヽリ、室ノ八嶋ヘ行(乾ノ方五町バカリ)。スグニ壬生ヘ出ル(毛武ト云村アリ)。此間三リトイヘドモ、弐里余。 一 壬生ヨリ楡木ヘ二リ。ミブヨリ半道バカリ行テ、吉次ガ塚、右ノ方廿間バカリ畠中ニ有。 一 にれ木ヨリ鹿沼ヘ一リ半。 一 昼過ヨリ曇。同晩、鹿沼(ヨリ火バサミヘ弐リ八丁)ニ泊ル。(火バサミヨリ板橋ヘ廿八丁、板橋ヨリ今市ヘ弐リ、今市ヨリ鉢石ヘ弐リ。) |
一 廿九日 午前7時半ごろ間々田を出る。 一 小山へ一里半、小山判官の城跡、左の方に有る。 一 小山より飯塚へ一里半。木沢(小山市喜沢)という所より左ヘ切れる。 一 この間姿川(思川支流)越える。飯塚より壬生ヘ一里半。飯塚の宿はずれより左ヘ曲り、小倉川(かつて、思川の栃木市を流れるあたりから上流域までは小倉川と称されていたが、現在は思川に統一されている)河原を通り、川を越え、惣社河岸という船着きの上にかかり、室ノ八嶋へ行く(乾ノ方五町ばかり)。すぐに壬生へ出る。(毛武<葵生。栃木市内>という村あり)。この間三里というが二里余り。 一 壬生より楡木ヘ二里。壬生より半道(半里)ばかり行くと、金売吉次の塚、右の方二十間ばかり畑の中に有り。 一 楡木より鹿沼へ一里半。 一 昼過ぎより曇り。同晩、鹿沼(より文挟<日光市文挟町>へ二里八丁)に泊る。(文挟より板橋へ廿八丁、板橋より今市へ二里、今市より鉢石へ二里。) |
| 一 四月朔日 前夜ヨリ小雨降。辰上尅、宿ヲ出。止テハ折々小雨ス。終日雲、午ノ尅、日光ヘ着。雨止。清水寺の書、養源院ヘ届。大楽院ヘ使僧ヲ被添、折節大楽院客有之。未ノ下尅迄待テ御宮拝見。終テ其夜日光上鉢石町五左衛門ト云者ノ方ニ宿。壱五貳四。 |
一 四月一日 前夜より小雨降る。午前7時半頃、宿を出る。雨止むが折々小雨降る。終日曇り。正午頃、日光へ着く。雨止む。江戸浅草・清水寺からの紹介状を養源院へ届ける。日光東照宮御別所(社務所)大薬院へ使僧の案内を得て趣く。折節大薬院に来客中で、午後2時半頃迄待って御宮を参拝。参詣終えて、その夜、日光上鉢石町の五左衛門宅に宿す。壱五貳四。 |
| 一 同二日 天気快晴。辰ノ中尅、宿ヲ出。ウラ見ノ瀧(一リ程西北)、カンマンガ淵見巡、漸ク及午。鉢石ヲ立、奈須・太田原ヘ趣、常ニハ今市へ戻リテ大渡リト云所ヘカヽルト云ドモ、五左衛門、案内ヲ教ヘ、日光ヨリ廿丁程下リ、左へノ方ヘ切レ、川ヲ越、せノ尾・川室ト云村ヘカヽリ、大渡リト云馬次ニ至ル。三リニ少シ遠シ。 〇今市ヨリ大渡ヘ弐リ余。 〇大渡ヨリ船入(船生)ヘ壱リ半ト云ドモ壱里程有。絹川ヲカリ(仮)橋有。大形ハ船渡し。 〇船入(船生)ヨリ玉入(玉生)ヘ弐リ。未ノ上尅ヨリ雷雨甚強。漸ク玉入(玉生)ヘ着。 一 同晩 玉入(玉生)泊。宿悪故、無理ニ名主ノ家入テ宿カル。 |
一 同二日 天気快晴。午前8時頃、宿を出る。裏見の滝(一里程西北)、含満が淵を正午頃迄見物。鉢石を立ち那須・大田原へ趣く。通常は今市へ戻って大渡から行くが、五左衛門が教えた通り、日光より廿丁程下り、左の方へ曲がり、大谷川を越え、瀬ノ尾・川室という村を通って大渡という馬継に至る。三里を少し越える。 〇今市より大渡ヘ二里余り。 〇大渡より船生ヘ一里半というが一里程。鬼怒川に架かる仮橋有り。大形は船渡し。 〇船生より玉生ヘ二里。午後1時半頃よりかなり強い雷雨。漸く玉生へ着く。 一 同晩 玉生に泊る。宿悪く、無理に頼んで名主宅に宿借る。 |
| 一 同三日 快晴。辰上尅玉入(玉生)ヲ立。鷹内ヘ二リ八丁。鷹内ヨリヤイタヘ壱リニ近シ。ヤイタヨリ沢村ヘ壱リ。沢村ヨリ太田原ヘ二リ八丁。太田原ヨリ黒羽根ヘ三リト云ドモ二リ余也。翠桃宅、ヨゼト云所也トテ、弐十丁程アトヘモドル也。 |
一 同三日 快晴。午前7時半頃玉生を立つ。鷹内へ二里八丁。鷹内より矢板へ一里程。矢板より沢村へ一里。沢村より大田原へ二里八丁。大田原より黒羽へ三里というが二里余り。翠桃宅、余瀬という所にあり、二十丁程引き返す。 |
| ◇一里:約4km ◇一丁(町):約109m ◇一間:約1.8m | |
本文・曽良随行日記の現代語訳および句の解釈
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曽良随行日記は「俳聖
松尾芭蕉・みちのくの足跡」のシリーズ「芭蕉について」からそのまま
転記しています。
ただし、章段によっては、滞在日に合わせて元のテキストを分割して掲載しているのもあります。
俳聖
松尾芭蕉・みちのくの足跡
第18集 芭蕉と日光
底本について
「おくのほそ道」の本文は、素龍清書の「西村本」を底本としています。
句読点や章段ごとの見出しは「俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡」
の中で任意に付したものであり、
「おくのほそ道」の本文に存在するものではありません。
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