| 白 河 の 関 | 現代語訳 | 曽良随行日記 |
![]() 心許なき日かず重るまゝに、白川の関にかゝりて、旅心定りぬ。いかで都へと便求しも断也。中にも此関は三関の一にして、風騒の人、心をとゞむ。秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢猶あはれ也。卯の花の白妙に、茨の花の咲そひて、雪にもこゆる心地ぞする。古人冠を正し、衣装を改し事など、清輔の筆にもとゞめ置れしとぞ。 卯の花をかざしに関の晴着かな 曽良 |
落ち着かない日々を重ねているうちに白河の関にさしかかり、ようやく旅に徹する心構えができてきた。平兼盛が、どうかして関越えの感動を都の人に知らせたいと詠んだのももっともである。数ある中でもこの関は奥州三関の一つに数えられ、風雅を求める人が心を寄せているところだ。能因法師が詠んだ歌の「秋風」という言葉の響きや、源頼政の歌の「紅葉」を思い浮かべながら青葉のこずえをながめていると、実に趣き深く感じられるものだ。卯の花が真っ白に咲いているところに茨が白く咲き添って、まるで雪の中、関を越えているような心地がする。むかし、竹田大夫国行がこの関を越えるとき、能因法師の歌に敬意を表して冠をかぶり直し、衣服をととのえて通ったいうことが藤原清輔の「袋草紙」に書きとめてあるということだ。 この関を通るとき、古人は冠を正し、衣装を改めたというが、私にはこのような用意もないので、せめて卯の花を髪にかざして関を通ることにしよう。 第4集 芭蕉と白河 旧暦:4月20日〜22日 旗宿:20日〜21日 白河:21日 矢吹:21日〜22日 新暦:6月7日〜9日 ■福島県地図 芭蕉と白河市 白河の関跡-詳細 |
一 廿日 朝霧降ル。辰中尅晴。下尅、湯本ヲ立。ウルシ塚迄三リ余。半途ニ小や村有。ウルシ塚ヨリ芦野ヘ二リ余。湯本ヨリ総テ山道ニテ能不知シテ難通。 一 芦野ヨリ白坂ヘ三リ八丁。芦野町ハヅレ、木戸ノ外、茶ヤ松本市兵衛前ヨリ左ノ方ヘ切レ、八幡ノ大門通リ之内(十町程過テ左ノ方ニ鏡山有)。左ノ方ニ遊行柳有。其西ノ四、五丁之内二愛岩(宕)有。其社ノ東ノ方、畑岸ニ玄仍(兼載の誤り)ノ松トテ有。玄仍ノ庵跡ナルノ由。其辺ニ三ツ葉芦沼有。見渡ス内也。八幡ハ所之ウブスナ也。市兵衛案内也。スグニ奥州ノ方、町ハヅレ橋ノキハヘ出ル。 一 芦野ヨリ一里半余過テヨリ居村有。是ヨリハタ村ヘ行バ、町ハヅレヨリ右ヘ切ル也。 一 関明神、関東ノ方ニ一社、奥州ノ方ニ一社、間廿間計有。両方ノ門前ニ茶屋有。小坂也。これヨリ白坂ヘ十町程有。古関ヲ尋テ白坂ノ町ノ入口ヨリ右ヘ切レテ籏宿ヘ行。廿日之晩泊ル。暮前ヨリ小雨降ル。(籏ノ宿ノハヅレニ庄司モドシト云テ、畑ノ中桜木有。判官ヲ送リテ、是ヨリモドリシ酒盛ノ跡也。土中古土器有。寄妙ニ拝) 一 廿一日 霧雨降ル、辰上尅止。宿ヲ出ル。町ヨリ西ノ方ニ住吉・玉島ヲ一所ニ祝奉宮有。古ノ関ノ明神故ニ二所ノ関ノ名有ノ由、宿ノ主申ニ依テ参詣。ソレヨリ戻リテ関山( 1 2)ヘ参詣。行基菩薩ノ開基。聖武天皇ノ御願寺、正観音ノ由。成就山満願寺ト云。籏ノ宿ヨリ峰迄一里半、麓ヨリ峰迄十八丁。山門有。本堂有。奥ニ弘法大師・行碁菩薩堂有。山門ト本堂ノ間、別当ノ寺有。真言宗也。本堂参詣ノ比、小雨降ル。暫時止。コレヨリ白河ヘ壱里半余。中町左五左衛門ヲ尋。大野半治ヘ案内シテ通ル。黒羽ヘ之小袖・羽織・状、左五左衛門方ニ預置。矢吹ヘ申ノ上尅ニ着、宿カル。白河ヨリ四里。今日昼過ヨリ快晴。宿次道程ノ帳有リ。 〇白河ノ古関ノ跡、籏ノ宿ノ一里程下野ノ方、追分ト云所ニ関ノ明神有由。相楽乍憚ノ伝也。是ヨリ丸ノ分同ジ。 〇忘ず山ハ今ハ新地山ト云。但馬村ト云所ヨリ半道程東ノ方ヘ行。阿武隈河ノハタ。 〇二方ノ山、今ハ二子塚村ト云。右ノ所ヨリアブクマ河ヲ渡リテ行。二所共ニ関山ヨリ白河ノ方、昔道也。二方ノ山、古歌有由。 みちのくの阿武隈河のわたり江に人(妹トモ)忘れずの山は有けり 〇うたゝねの森、白河ノ近所、鹿島ノ社ノ近所。今ハ木一、二本有。 かしま成うたゝねの森橋たえていなをふせどりも通はざりけり(八雲二有由) 〇宗祇もどし橋、白河ノ町より右(石山ヨリ入口)、かしまへ行道、ゑた町有。其きわに成程かすか成橋也。むかし、結城殿数代、白河を知玉フ時、一家衆寄合、かしまにて連歌有時、難句有之。いづれも三日付ル事不成。宗祇、旅行ノ宿ニテ被聞之て、其所ヘ被趣時、四十計ノ女出向、宗祇に「いか成事にて、いづ方ヘ」と問。右ノ由尓々、女「それは先に付侍りし」と答てうせぬ。 月日の下に独りこそすめ (付句)かきおくる文のをくには名をとめて と申ければ、宗祇かんじられてもどられけりと云伝。 |
| 須 賀 川 | 現代語訳 | 曽良随行日記 |
![]() とかくして越行まゝに、あぶくま川を渡る。左に会津根高く、右に岩城・相馬・三春の庄、常陸・下野の地をさかひて、山つらなる。かげ沼と云所を行に、今日は空曇て物影うつらず。すか川の駅に等窮といふものを尋て、四、五日とゞめらる。先白河の関いかにこえつるやと問。長途のくるしみ、身心つかれ、且は風景に魂うばゝれ、懐旧に腸を断て、はかばかしう思ひめぐらさず。 |
そうこうして白河の関を越えていくうちに阿武隈川を渡った。左手には会津の磐梯山が高くそびえ、右手には岩城、相馬、三春の地方が広がっており、振り返ってみると、この土地と、常陸の国や下野の国とを区切るように山々が連なっている。かげ沼というところを通ったが、今日は空が曇っていて、水面には物影が映っていなかった。須賀川の宿場に着いてから等窮というものを訪ねて、ここで、4、5日引き留められる。先ず最初に、「白河の関では、どんな句を詠んで越えられましたか」と聞かれた。そこで、「長い旅の苦労のために心身ともに疲れ、その上、すばらしい風景に心をうばわれ、むかしのことを考えると懐かしさに堪えかねて、いい句を案ずることができませんでした。 白河の関を越えると、歌いながら田植えをするという、実に趣きのある光景が目にとまった。これは、旅に出て最初の風流な味わいであることよ。 しかしながら、何の句も詠まずに通り過ぎることもできず、『風流の初やおくの田植うた』の句を作りましたよ」と語ると、この句を発句にして、脇句、第三句とつづけて三巻の連句ができあがった。 この宿の傍らに、大きな栗の木陰を借りて、俗世間を避けるように暮らしている僧がいる。西行法師が「橡ひろう」と詠んだ深山も、こんなふうであったろうかと思うほどに閑静なたたずまいであったので、つぎのように書き付けた。その言葉は、 栗という字は西の木と書くことから、西方浄土にゆかりがあるといって、行基菩薩は、一生杖にも柱にもこの木をお使いになられたそうである。 世間を避けるようにひっそりと暮らしている僧がおり、その住まいの軒先には、栗の花が人目につかず咲いている。いかにも奥ゆかしいことだ。 第5集 芭蕉と須賀川 旧暦:4月22日〜29日 新暦:6月 9日〜16日 ■福島県地図 芭蕉と須賀川市 かげ沼 |
一 廿二日 須か川、乍単斎(相楽等躬)宿、俳有。 廿三日 同所滞留。晩方ヘ可伸ニ遊、帰ニ寺々八幡ヲ拝。 一 廿四日 主ノ田植。昼過ヨリ可伸庵ニテ会有。会席、そば切。祐碩賞之。雷雨、暮方止。 廿五日 主物忌、別火。 廿六日 小雨ス。 一 廿七日 曇。三つ物ども。芹沢の滝へ行。 一 廿八日 発足ノ筈定ル。矢内彦三郎来テ延引ス。昼過ヨリ彼宅ヘ行テ及暮。十念寺( 1 2)・諏訪明神ヘ参詣。朝之内、曇。 一 廿九日 快晴。巳中尅、発足。石河滝(乙字ケ滝)見ニ行。(此間、さゝ川ト云宿ヨリあさか郡) 須か川ヨリ辰巳ノ方壱里半計有。滝ヨリ十余丁下ヲ渡リ、上ヘ登ル。歩ニテ行バ滝ノ上渡レバ余程近由。阿武隈川也。川ハヾ百二、三十間も有之。滝ハ筋かヘニ百五、六十間も可有。高サ二丈、壱丈五、六尺、所ニヨリ壱丈計ノ所も有之。 ![]() 須賀川における芭蕉の8日間の足跡 22日 |
| 安 積 山 | 現代語訳 | 曽良随行日記 |
![]() 等窮が宅を出て五里計、桧皮の宿を離れてあさか山有。路より近し。此あたり沼多し。かつみ刈比もやゝ近うなれば、いづれの草を花かつみとは云ぞと、人々に尋侍れども、更知人なし。沼を尋、人にとひ、かつみかつみと尋ありきて、日は山の端にかゝりぬ。二本松より右にきれて、黒塚の岩屋一見し、福島に宿る。 |
等躬の家を出立して五里ばかり歩いたところに桧皮の宿があり、そこを過ぎたあたりに、かの安積山がある。街道からすぐのところである。このあたりは沼が多い。かつみを刈って軒にさす時節もそろそろなので、どの草を花かつみというのかと、土地の人々に尋ねても、いっこうに知る人がいない。沼のあたりを探したり、人にどこにあるかを聞いたり、「かつみ、かつみ」と尋ね回っているうちに、気がついてみると、日は山の端にかかっていた。二本松から右に曲がって行き、黒塚で岩屋を少しばかり見物し、福島に宿をとった。 第6集 芭蕉と郡山 旧暦:4月29日〜5月1日 郡山 :29日 安積山: 1日 元禄2年の4月は29日迄 新暦:6月16日〜17日 ■福島県地図 芭蕉と郡山市 日和田・安積山 第7集 芭蕉と二本松 旧暦:5月 1日 二本松の黒塚:1日 新暦:6月17日 ■福島県地図 芭蕉と二本松市 観世寺・黒塚-詳細 |
(廿九日) それヨリ川ヲ左ニナシ、壱里計下リテ向、小作田村と云馬次有。ソレヨリ弐里下リ、守山宿と云馬次有。御代官諸星庄兵衛殿支配也。問屋善兵衛方(手代湯原半太夫)ヘ幽碩ヨリ状被添故、殊之外取持。又、本実坊・善法寺ヘ矢内弥市右衛門状遣ス。則、善兵衛、矢内(案内の誤りか)ニテ、先大元明王へ参詣。裏門ヨリ本実坊へ寄、善法寺へ案内シテ本実坊同道ニテ行。雪村歌仙絵・讃宗鑑之由、見物。内、人丸・定家・業平・素性・躬恒五ふく、智證大し並金岡がカケル不動拝ス。探幽ガ大元明王ヲ拝ム。守山迄ハ乍単ヨリ馬ニテ被送、昼飯調テ被添。守山ヨリ善兵衛馬ニテ郡山(二本松領)迄送ル。カナヤト云村へかゝり、アブクマ川ヲ舟ニテ越、本通日出山ヘ出ル。守山ヨリ郡山ヘ弐里余、日ノ入前、郡山ニ到テ宿ス。宿ムサカリシ。 ![]() 一 五月朔日 天気快晴。日出ノ比、宿ヲ出、壱里半来テヒハダ(日和田)ノ宿、馬次也。町はづれ五、六丁程過テ、あさか山有。壱り塚ノキハ也。右ノ方ニ有小山也。アサカノ沼、左ノ方谷也。皆田ニ成、沼モ少残ル。惣テソノ辺山ヨリ水出ル故、いづれの谷にも田有。いにしへ皆沼ナラント思也。山ノ井ハコレヨリ(道ヨリ左)西ノ方(大山ノ根)三リ程間有テ、帷子ト云村(高倉ト云宿ヨリ安達郡之内)ニ山ノ井清水ト云有。古ノにや、不しん也。 二本松の町、奥方ノはづれニ亀ガヒト云町有。ソレヨリ右之方ヘ切レ、右ハ田、左ハ山ギワヲ通リテ壱リ程行テ、供中ノ渡ト云テ、アブクマヲ越舟渡し有リ。その向ニ黒塚有。小キ塚ニ杉植テ有。又、近所ニ観音堂有。大岩石タヽミ上ゲタル所後ニ有。古ノ黒塚ハこれならん。右ノ杉植し所は鬼ヲウヅメシ所成らんト別当坊申ス。天台宗也。それヨリ又、右ノ渡ヲ跡ヘ越、舟着ノ岸ヨリ細道ヲつたひ、村之内ヘかゝり、福岡村ト云所ヨリ二本松ノ方ヘ本道ヘ出ル。二本松ヨリ八町ノめヘハ二リ余。黒塚ヘかゝりテハ三里余有べし。 |
| 信 夫 の 里 | 現代語訳 | 曽良随行日記 |
![]() あくれば、しのぶもぢ摺の石を尋て、忍ぶのさとに行。遥山陰の小里に石半土に埋てあり。里の童べの来りて教ける。昔は此山の上に侍しを、往来の人の麦草をあらして、此石を試侍をにくみて、此谷につき落せば、石の面下ざまにふしたりと云。さもあるべき事にや。 早苗とる手もとや昔しのぶ摺 |
明けて次の日、しのぶもじ摺りの石を尋ねて、信夫の里に行った。はるか離れた山陰の小さな村里に、その石は半分ほど土に埋もれていた。里の子どもが来て、いきさつを教えてくれた。「その石は、むかし山の上にあったのですが、ここを通る人たちが麦の葉っぱを取り荒らしてその石にこすっていくのを嫌い、村の人がこの谷に突き落としたものだから、こうして石の表にあたるところが伏したようになったのです」という。そういうこともあるのだろうか。 早苗をとっている早乙女たちの手元を見ていると、むかし、しのぶ摺りをした手つきもおなじようだったのかと偲ばれることだ。 第8集 芭蕉と福島 旧暦:5月1日〜3日 福島の宿に1日夜泊る 信夫の里:2日 医王寺 :2日 飯坂温泉:2日〜3日 新暦:6月17日〜19日 ■福島県地図 芭蕉と福島市 信夫文知摺観音 |
(朔日) 八町ノめヨリシノブ郡ニテ福島領也。福島町ヨリ五、六丁前、郷ノ目村ニテ神尾氏ヲ尋。三月廿九日、江戸ヘ被参由ニテ、御内・御袋ヘ逢、すぐニ福嶋ヘ到テ宿ス。日未少シ残ル。宿キレイ也。 一 二日 快晴。福島ヲ出ル。町ハヅレ十町程過テ、イガラべ(五十辺)村ハヅレニ川有。川ヲ不越、右ノ方ヘ七、八丁行テ、アブクマ川ヲ船ニテ越ス。岡部ノ渡リト云。ソレヨリ十七、八丁、山ノ方ヘ行テ、谷アヒニモジズリ石アリ。柵フリテ有。草ノ観音堂有。杉檜六、七本有。虎が清水ト云小ク浅キ水有。福島ヨリ東ノ方也。其辺ヲ山口村ト云、ソレヨリ瀬ノウヱヘ出ルニハ月ノ輪ノ渡リト云テ、岡部渡ヨリ下也。ソレヲ渡レバ十四、五丁ニテ瀬ノウヱ也。山口村ヨリ瀬ノ上ヘ弐里程也。 ![]() |
| 佐 藤 庄 司 が 旧 跡 | 現代語訳 | 曽良随行日記 |
![]() 月の輪のわたしを越て、瀬の上と云宿に出づ。佐藤庄司が旧跡は、左の山際一里半斗に有。飯塚の里鯖野と聞て尋ね尋ね行に、丸山と云に尋あたる。是、庄司が旧館也。梺に大手の跡など、人の教ゆるにまかせて泪を落し、又かたはらの古寺に一家の石碑を残す。中にも、二人の嫁がしるし、先哀也。女なれどもかひがひしき名の世に聞えつる物かなと、袂をぬらしぬ。堕涙の石碑も遠きにあらず。寺に入て茶を乞へば、爰に義経の太刀、弁慶が笈をとゞめて什物とす。 笈も太刀も五月にかざれ帋幟 五月朔日の事也。 |
月の輪の渡しを越えて、瀬の上と言う宿場に出る。佐藤庄司の旧跡は、左の山際の道を一里半ほど行ったところにある。飯塚の里の鯖野というところだと聞いて、人に尋ねながら行くと、丸山というところに行きついた。これが、庄司がもと住んだ館跡である。麓に大手門跡があるなどと人が教えてくれるままに尋ねては涙したことであった。また、近くの古寺には、佐藤一家の石碑が残っている。なかでも、二人の嫁の石碑が、まず哀れに思われた。女の身ながら健気な振る舞いをした話が、よくぞ世に伝え残されたものよと、涙を流したのだった。「堕涙の石碑」は中国だけのことではないのだ。寺に入ってお茶を所望したところ、この寺は義経の使った太刀や弁慶が背負った笈を所蔵し宝物にしていた。 端午の節句の5月なのだから、弁慶の笈も義経の太刀も、帋幟といっしょに飾って祝ってもらいたいものだ。 5月1日のことであった。 第8集 芭蕉と福島 旧暦:5月1日〜3日 福島の宿に1日夜泊る 信夫の里:2日 医王寺 :2日 飯坂温泉:2日〜3日 新暦:6月17日〜19日 ■福島県地図 飯坂温泉と医王寺 医王寺-詳細 |
(二日) 一 瀬ノ上ヨリ佐場野ヘ行。佐藤庄司ノ寺有。寺ノ門ヘ不入。西ノ方ヘ行。堂有。堂ノ後ノ方ニ庄司夫婦ノ石塔有。堂ノ北ノワキニ兄弟ノ石塔有。ソノワキニ兄弟ノハタザホヲサシタレバはた出シト云竹有。毎年、弐本ヅゝ同ジ様ニ生ズ。寺ニハ判官殿笈・弁慶書シ経ナド有由。系図モ有由。 ![]() |
| 飯 塚 温 泉 | 現代語訳 | 曽良随行日記 |
![]() 其夜飯塚にとまる。温泉あれば湯に入て宿をかるに、土坐に筵を敷て、あやしき貧家也。灯もなければ、ゐろりの火かげに寝所をまうけて臥す。夜に入て雷鳴、雨しきりに降て、臥る上よりもり、蚤・蚊にせゝられて眠らず。持病さへおこりて、消入斗になん。短夜の空もやうやう明れば、又旅立ぬ。猶、夜の余波心すゝまず、馬かりて桑折の駅に出る。遥なる行末をかゝえて、斯る病覚束なしといへど、羇旅辺土の行脚、捨身無常の観念、道路にしなん、是天の命なりと、気力聊とり直し、路縦横に踏で伊達の大木戸をこす。 |
その夜は飯塚に泊った。温泉があるので湯に入ってから宿を借りたが、そこは土間にむしろを敷いたばかりの粗末な貧家であった。灯火もないので、いろりの火の明かりがさすところに寝床をこしらえて横になった。夜になって雷が鳴り、雨がしきりに降って寝ている上から雨漏りがし、蚤や蚊に刺されて眠ることができない。おまけに持病さえ起こり、苦しみのため気を失うほどであった。短い夏の夜もようやく明けたので、また旅立った。しかし、まだ昨夜の苦痛が残っていて気分が晴れ晴れしないので、馬を借りて桑折の宿場まで出た。長旅を前途に控えて、このような病があっては先行き不安ではあるが、この旅はそもそも辺ぴな田舎をめぐる行脚なのであり、俗世間から身を捨て、人の世のはかなさを覚悟してのことなのだから、旅中、道ばたで死ぬようなことがあっても天命なのだと、気力を少しばかり取り戻し、道を思いのままに踏み締めて伊達の大木戸を越えたのだった。 第8集 芭蕉と福島 旧暦:5月1日〜3日 福島の宿に1日夜泊る 信夫の里:2日 医王寺 :2日 飯坂温泉:2日〜3日 新暦:6月17日〜19日 ■福島県地図 飯坂温泉と医王寺 |
(二日) 福島ヨリ弐里。こほり(桑折)ヨリモ弐里。瀬ノウヱヨリ壱リ半也。川ヲ越、十町程東ニ飯坂ト云所有。湯有。村ノ上ニ庄司館跡有。下リニハ福島ヨリ佐波野・飯坂・桑折ト可行。上リニハ桑折・飯坂・佐場野・福島ト出タル由。昼ヨリ曇、夕方ヨリ雨降、夜ニ入、強。飯坂ニ宿。湯ニ入。 一 三日 雨降ル。巳ノ上尅止。飯坂ヲ立。桑折(ダテ郡之内)ヘ二リ。折々小雨降ル。 ![]() |
本文・曽良随行日記の現代語訳および句の解釈
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曽良随行日記は「俳聖
松尾芭蕉・みちのくの足跡」のシリーズ「芭蕉について」からそのまま
転記しています。
ただし、章段によっては、滞在日に合わせて元のテキストを分割して掲載しているのもあります。
出典データベース
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俳聖
松尾芭蕉・みちのくの足跡
底本について
「おくのほそ道」は、敦賀の西村家に伝えられている素龍清書の「西村本」を底本としています。
句読点や章段ごとの見出しは「俳聖
松尾芭蕉・みちのくの足跡」の中で任意に付したものであり、
「おくのほそ道」の本文に存在するものではありません。
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