白河資料写真と解説(8)
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| 栃木県那須町から国道294号線を北に行くと、県境に二社の「境の明神」があり、一方の福島県側の明神境内に、芭蕉や大江丸の句碑を含む俳諧碑林が見られる。 |
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芭蕉句碑。 風流のはじめや奥の田うへ哥(風流の初やおくの田植うた) 安永6年(1777年)、白河藩士で俳人の玉生旭窓によって建てられたもの。碑陰に「田播塚 我古人を思ふ」を刻する。須賀川の十念寺にも女流俳人市原多代女が建立した同句の碑がある。 |
| 思楽句碑。 卯の花や清水のすえの里つゞき 明治7年に詠まれた思楽の句碑。思楽は本名島谷栄吉で、飛脚問屋を営んだ福島の俳人。 |
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烏鵲句碑。 能因のうはさも出井蛙かな 萍に小町のうき名聞日哉 花は根へ戻りて木々の照葉かな 紙子着た人は上坐に雪見かな 句碑は安政7年(1860年)に建立。烏鵲(うじゃく)は秋山晴盛で、白河藩家老。 |
| 大江丸句碑。 能因にくさめさせたる秋はここ 大江丸は大坂の飛脚問屋・島屋を営み、上方俳壇の長老と仰がれた人物。安井政胤。本句は、寛政12年(1800年)秋、81歳の時に詠まれた句で、「能因にくさめさせたる秋」とは、能因が「都をば霞とともにたちしかど秋風ぞ吹く白河の関」の歌を詠んだ経緯について触れたもの。詳しくはこちらを参照。 |
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朴斉句碑。 |
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俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
総合目次
第4集 芭 蕉 と 白 河
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