須賀川資料写真と解説(1)
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十念寺。 芭蕉と曽良は元禄2年4月28日(新暦6月15日)来迎山十念寺に参詣した。十念寺は文録元年(1592年)に開山された浄土宗の寺で、開基は善龍上人。寛政9年(1797年)に焼失したのち再建された。元禄2年当時の住職は第十世、教蓮社良頓善達上人。 発足ノ筈定ル。矢内彦三郎来テ延引ス。昼過ヨリ彼宅ヘ行テ及暮。十念寺・諏訪明神ヘ参詣。朝之内、曇。(曽良随行日記) |
| 十念寺の芭蕉句碑。 風流の初やおくの田植うた 須賀川女流俳人・市原多代女(1776〜1865)が建てた芭蕉句碑。句碑の裏面に「安政二季竜集乙卯暮春 晴霞庵多代女営之」とある。 ○十念寺の「奥の細道」碑 |
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長松院。 相楽等躬の墓がある萬年山長松院は、須賀川城主二階堂山城守詮公内室(三浦平八郎為豊姫)を開基、麟山禅師を開山とする曹洞宗の寺院で、寺号は、同夫人の法名「長松院殿鶴窓昌寿大姉」に因む。建立地は、牛袋村(西川字堀底)、守山(郡山市守山町)を経、慶長18年(1613年)に須賀川の現在地に移されている。 |
| 相楽等躬句碑。 あの辺はつくば山哉炭けふり 長松院の境内に建つ等躬句碑。建立は昭和33年(1958年)。この句に「みちのくの標葉さかひにてよみしを」の前書がある。標葉(しねは)町は福島県双葉郡の内。交流があった岩城平城主内藤露沾を訪ねた折の句と見られる。 ○長松院の等躬の墓 |
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神炊館(諏訪)神社。 建美依米命を主祭神とする神社で、古来、須賀川の総鎮守「諏訪神社」として崇敬を集めている。明治11年(1878年)、「じん(しん)すいかんじんじゃ」(正式には、「おたきやじんじゃ」)の社名となった。 |
「おくのほそ道」碑。 芭蕉と曽良は元禄2年4月28日(新暦6月15日)諏訪神社に参詣した。元禄2年当時の神主は須田市正秀陳。 発足ノ筈定ル。矢内彦三郎来テ延引ス。昼過ヨリ彼宅ヘ行テ及暮。十念寺・諏訪明神ヘ参詣。朝之内、曇。(曽良随行日記) |
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俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
総合目次
第5集 芭 蕉 と 須 賀 川
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