| 芭蕉について |
なぜ黒塚の話を書かなかったのか 鬼婆伝説を残す観世寺の開基は奈良時代にまでさかのぼる。観世寺は奇石怪石でつとに知られ、芭蕉が訪れた当時も今日と同様、境内にはところ狭しと巨石が横たわっていた。曽良の随行日記に、見聞した様が次のように詳しく記されている。 |
「おくのほそ道」と二本松/曽良随行日記 |
| 「おくのほそ道」と二本松 | |
| 元禄2年(1689年)5月1日(新暦6月17日) | |
| 曽良随行日記<原文> | 現代語 |
| 一 五月朔日 天気快晴。日出ノ比、宿ヲ出、壱里半来テヒハダ(日和田)ノ宿、馬次也。町はづれ五、六丁程過テ、あさか山有。壱り塚ノキハ也。右ノ方ニ有小山也。アサカノ沼、左ノ方谷也。皆田ニ成、沼モ少残ル。惣テソノ辺山ヨリ水出ル故、いづれの谷にも田有。いにしへ皆沼ナラント思也。山ノ井ハコレヨリ(道ヨリ左)西ノ方(大山ノ根)三リ程間有テ、帷子ト云村(高倉ト云宿ヨリ安達郡之内)ニ山ノ井清水ト云有。古ノにや、不しん也。 二本松の町、奥方ノはづれニ亀ガヒト云町有。ソレヨリ右之方ヘ切レ、右ハ田、左ハ山ギワヲ通リテ壱リ程行テ、供中ノ渡ト云テ、アブクマヲ越舟渡し有リ。その向ニ黒塚有。小キ塚ニ杉植テ有。又、近所ニ観音堂有。大岩石タヽミ上ゲタル所後ニ有。古ノ黒塚ハこれならん。右ノ杉植し所は鬼ヲウヅメシ所成らんト別当坊申ス。天台宗也。それヨリ又、右ノ渡ヲ跡ヘ越、舟着ノ岸ヨリ細道ヲつたひ、村之内ヘかゝり、福岡村ト云所ヨリ二本松ノ方ヘ本道ヘ出ル。二本松ヨリ八町ノめヘハ二リ余。黒塚ヘかゝりテハ三里余有べし。 |
一 五月一日 天気快晴。日の出の頃、郡山の宿を出、一里半来て日和田の宿、馬継也。町はづれ五、六丁程過ぎて、安積山有り。一里塚の際、右の方にある小山也。安積の沼、左の方、谷也。皆、田に成り、沼も少し残る。すべてその辺、山より水が出るゆえ、いづれの谷にも田が有る。いにしへは皆沼だったろうと思われる。山の井はこれより(道より左)西の方(大山の根)三里程有り、帷子(郡山市片平町)という村(高倉という宿より安達郡の内)に山の井清水というのが有る。古歌にあるのと違うようだ。 二本松の町、奥の方のはづれに亀谷という町有り。それより右の方へ曲がると、右は田で、左には、山際を通って一里程行くと、供中の渡という阿武隈川を越す舟渡しが有る。その向こうに黒塚有り。小さな塚に杉が植えて有る。又、近所に観音堂有り。観音堂は大岩石を畳み上げた所の後に有る。古の黒塚はこれだろう。右の杉を植えた所は鬼を埋めた所だろうと別当坊が言う。天台宗也。それより又、右の渡しをあとにして阿武隈川を越え、舟着きの岸より細道を伝って、村の内ヘかゝり、福岡村という所より二本松の方ヘ奥州街道ヘ出る。二本松より八町の目ヘは二里余り。黒塚ヘかゝると三里余り。 |
| ◇一里:約4km ◇一丁(町):約109m ◇一間:約1.8m | |
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俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
総合目次
第7集 芭 蕉 と 二 本 松
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