白石資料写真と解説(2)
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田村神社。 神社裏手の坂道が「おくのほそ道」の中で「鐙摺・白石の城を・・・」と書かれた「鐙摺(あぶみずり)」の遺跡になっている。 神社の横を通る旧国道4号(奥州街道)を挟んで反対側に、曽良日記に「さい川ヨリ十町程前ニ万ギ沼・万ギ山有」と書かれた万牛山がある。 |
| 田村神社。 神社略記によれば、桓武天皇の延暦年間(800年頃)に斎川の人々が山中に潜む賊に苦しんでいるところを坂上田村麻呂が救い、また稲作の指導もしたため当地が平和で豊かな里になった。このため、里人が感謝して神社を建立し田村麻呂を神として祭ったという。 神社は明治8年6月に放火により焼失するが、明治12年3月に再建された。 |
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甲冑堂。 曽良日記で「次信・忠信が妻ノ御影堂」と書かれている甲冑堂。 日記にあるように御影堂ともいわれ、また故将堂などの異称もある。 元禄2年の正月に版行された井原西鶴の「一目玉鉾」には「甲冑堂 是は佐藤庄司が二人の子次信忠信が女の御影鎧を着しむかしを今に其姿を木像に移し置ぬ」と書かれている。 甲冑堂は明治8年6月に放火により神社とともに焼失するが、昭和14年12月3日に再建されている。 |
| 継信と忠信の妻の木像。 右の座像が継信の妻・楓、左が忠信の妻・初音で、屏風に見立てた壁画には楓、と鶯の「初音」に似つかわしい梅の木が描かれている。 これらの像は、宮城県の現柴田町出身である彫刻家の小室達(こむろとおる)の手によるもの。 |
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田村神社の資料館。 継信、忠信の妻の像の石膏型が展示されている他、芭蕉に関する資料や神社にまつわる資料などが展示されている。 |
| 堂の傍らの桃隣句碑。 昭和14年12月3日に甲冑堂の再建を記念して建てられた蕉門桃隣の句碑。 桃隣は芭蕉の縁者で、本名を天野勘兵衛という。桃隣は、芭蕉の死後の元禄9年(1696年)、「おくのほそ道」の旅をなぞって「陸奥鵆」を著わした。碑にはこの時詠まれた「戦めく二人の嫁や花あやめ」の句が刻まれている。 ○句碑拡大 |
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俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
総合目次
第9集 芭 蕉 と 白 石
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