岩沼資料写真と解説(1)
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二木の松史跡公園。 平成元年に、「おくのほそ道紀行300年」を記念して史跡公園として整備された。公園の広さは620平方メートルほどで、門をくぐった園内に芭蕉句碑や休憩所がある。 道路脇に、歌枕「武隈の松」として名を馳せた二木の松が亭々とそびえている。 ○二木の松の根元 |
| 「おくのほそ道」の標柱。 芭蕉一行は元禄2年5月4日、岩沼を目指して白石宿を出立し、竹駒神社を参拝後、この武隈の松に立ち寄った。 辰ノ尅、白石ヲ立。折ゝ日ノ光見ル。岩沼入口ノ左ノ方ニ竹駒明神ト云有リ。ソノ別当ノ寺ノ後ニ武隈ノ松有。竹がきヲシテ有。ソノ辺、侍やしき也。(曽良随行日記) ○国道4号線と二木大通りの交差点にある古い標柱 |
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二木の松。 「おくのほそ道」の中で「め覚める心地」、「めでたき松のけしき」と賞賛された「武隈の松」は5代目で、現在の松は7代目と伝えられる。 以前、二木の松は朱色の木柵に囲われていたというが、現在は写真のような杭とロープで囲われている。 ○二木の松写真集 |
| 藤原元善と橘季通の歌碑。 明治34年に建てられた藤原元善(良)朝臣と橘季通の歌碑。<万葉仮名で書かれた歌> 「後撰和歌集」藤原元善 うゑし時ちぎりやしけむたけくまの松をふたたびあひ見つるかな 「後拾遺和歌集」橘季通 武隈の松はふた木を都人いかがと問はばみきとこたへむ 歌枕としての「武隈の松」は、藤原元善の歌が文献初出。 |
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「二木の松」碑。 二木の松に並んで建つ「二木の松」碑。説明板には次のように書かれている。 この松は、陸奥の歌枕のなかでもその詠歌の多いことでは屈指の名木である。千余年前、陸奥の国司として着任した藤原元良(善)が植え、以後能因・西行をはじめ多くの歌人に詠まれるようになった。元禄二年五月四日(1689年、現在の六月二十日)この松を訪れた松尾芭蕉は、「武隈の松にこそめ覚る心地はすれ。(下に続く) |
| 史跡公園内部。 公園内に8代目「二木の松」の若木が育っている。 (上から)・・・めでたき松のけしきになん侍し。」と「おくのほそ道」に記して、「桜より松は二木を三月越し」の句で結び、曽良の「随行日記」には、「岩沼入り口 (中略) 侍やしき也。」とある。この松は植え継がれて七代目といわれ、文久二年(1862年)に植えられたものと伝えられる。 |
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芭蕉句碑。 桜より松は二木を三月越し 本句は、門人挙白の餞別吟「武隈の松みせ申せ遅桜(遅桜よ、わが師が奥州に赴かれたら、是非とも武隈の松をお見せしなさい)」に応えて詠んだもの。 |
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俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
総合目次
第10集 芭 蕉 と 岩 沼
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