| 芭蕉が訪れた仙台城 |
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芭蕉が仙台を訪れた元禄2年(1689年)のころ、仙台藩は、四代藩主伊達綱村の治世下にあった。その石高は62万石で、陸奥国内62郡で60万石、常陸、近江にそれぞれ1万石余を保有し、加賀の前田100万石、薩摩の島津77万石に次いで、全国で3番目の大藩だった。 |
| 記にある「城ノ追手ヨリ入」(追手から仙台城に入る)は、八幡宮に通じる参道が、追手(大手門)の先にあったことによると解釈され、現在も、同じルートで八幡宮にたどることができる。 新暦で6月の末にあたるこの時期、当地は緑が一層深まる季節であり、青葉城の別称を頂く仙台城は、その名の通り、みどり輝く景観を呈していたことだろう。 天気能。亀が岡八幡ヘ詣。城ノ追手ヨリ入。俄ニ雨降ル。茶室ヘ入、止テ帰ル。 (随行日記) ○「奥州道中 増補行程記-仙台城下」参照 仙台城は、藩祖伊達政宗により築城され、慶長7年(1602年)に一応の完成を見た後、松島の瑞巌寺が建てられた翌年の慶長15年(1610年)1月に本丸大広間が完成した。政宗の死後、寛永15年(1638年)には二代藩主忠宗が青葉山の山麓部に二ノ丸の建築を開始している。青葉山、東を流れる広瀬川、断崖をつくる竜の口渓谷、これらの自然地形に戦国時代さながらの防備を求めて築かれた仙台城は、数ある中で最も究竟な守りを固めた城の一つと言われた。 ○竜の口渓谷 文武名将として鳴らした伊達政宗は、詩歌にも長けた技量を発揮し、後水尾(ごみずのお)天皇が室町中期以降の歌人から撰んで集外三十六歌仙とした中に、細川幽斎(安土桃山時代の武将・歌人)や大田道灌らとともにその名を連ねた。政宗については「さゝずとて唯かは越えむ逢坂の 關戸うずむ夜半の白雪」の歌が評価された。 また、文禄3年(1594年)の2月29日、太閤秀吉が催した吉野花樹会で政宗は次の5首を詠んでいる。 花のねがひ おなじくはあかね心にまかせつゝ散らさで花を見るよしもがな 花をちらさぬ風 遠かりし花のこずゑも匂ふなり枝にしられぬ風やふくらむ 瀧の上の花 よしの山たきつながれに花ちればゐせきにかゝる浪ぞたちそふ 神のまへのはな むかしたれふかき心のねざしにてこの神垣の花をうゑけむ 花の祝 君がためよし野の山のまきの葉のときはに花の色やそはまし 政宗以来、様々な歴史を刻んだ仙台城跡一帯は青葉山公園として整備され多くの観光客を迎えているが、現在、平成13年までの予定で石垣の修復工事が行われており、同時に本丸跡の発掘調査が行われている。 |
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俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
総合目次
第12集 芭 蕉 と 仙 台
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