深川界隈資料写真と解説(9)
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臨川寺。 臨川寺は、承応2年(1653年)鹿島根本寺(茨城県)の冷山和尚が江戸の小名木川の辺りに草庵を結んだことに始まり、その弟子の仏頂禅師が幕府に願い出て、正徳3年(1713年)に「瑞甕山臨川寺」という山号寺号が許可された。 延宝8年(1680年)深川に移り住んだ芭蕉は仏頂禅師と親交が厚く、度々参禅に通ったと伝えられる。以来、芭蕉ゆかりの寺として知られる。 |
| 臨川寺境内の石碑。 「芭蕉由緒の碑」(最も左の碑)には、美濃派の俳人神谷玄武が、各務支考(芭蕉門人)により京都双林寺に建てられた芭蕉墨直の墨跡を写して臨川寺に石碑(右から2番目の碑)を建て、毎年3月に墨直会を催したことが綴られている。 ○芭蕉と仏頂禅師について |
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長慶寺。 江東区の森下2丁目にある曹洞宗の寺で一空全鎖(いっくうぜんさ)和尚が開基。境内に、「世にふるは更に宗祇のやとり哉」の自筆短冊を埋めた芭蕉翁句塚(発句塚、時雨塚、短冊塚とも呼ばれる)跡と芭蕉門弟の其角の墓がある。 句塚と其角の墓石は、戦災により大部分が消失している。 |
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要津寺。 芭蕉門弟の代表的人物服部嵐雪の「雪中庵」は長きにわたって代々受け継がれたが、墨田区千歳の要津寺には、雪中庵の俳人によって建てられた「雪中庵関係石碑群」がある。この中には庵祖嵐雪や雪中庵代々の墓の他、「芭蕉翁俤塚」などの芭蕉関係石碑も含まれる。 |
| 要津寺の石碑群。 写真左から順に、安永2年(1773年)建立の「古池や」句碑、嵐雪と吏登の墓、三世雪中庵大島蓼太の墓、四世雪中庵完来から十四世双美までの円形墓碑、宝暦13年(1763年)に蓼太が建てた「芭蕉翁俤塚」、天明2年(1782年)建立の「芭蕉翁百回忌発句塚碑」。 |
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俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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[特 集] 芭蕉と深川界隈
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