深川界隈資料写真と解説(6)
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仙台堀川。 河口の「上之橋」の北詰に仙台藩の蔵屋敷が置かれていたことから「仙台堀」と呼ばれた。永代六間堀(堀幅が六間-約10.8m)の1つで、寛永年間には材木置き場として使用された。 昭和40年(1965年)、河川法改正で、砂町運河と合わせて「仙台堀川」となっている。 |
| 海辺橋。 仙台堀川に架かる「海辺橋」。安政5年(1858年)に描かれた「本所深川絵図」にこの橋が見られるが、芭蕉のころはまだ築かれていない。 むかし本所深川では飲料水を船で運んでいたが、現在の海浜橋付近が飲料水を陸揚した「水場」にあたる。万治から寛文のころ幕府は白堀上水をつくったものの引水状態が悪く、享保になって廃止された。 |
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採荼庵跡。 海辺橋の南詰に、芭蕉が「おくのほそ道」の出立直前まで住まった採荼庵跡がある。 芭蕉は、元禄2年(1689年)の2月(旧暦)末、隅田川と小名木川の合流地点の岸辺にあった芭蕉庵を手放し、杉風の別墅採荼庵に移った。そして、翌月27日、ここを立って見送りの門人とともに仙台堀に浮かぶ船に乗り、隅田川をさかのぼった。 |
| 採荼庵跡。 採荼庵に芭蕉を住まわせた杉風は、江戸・日本橋で幕府御用の魚問屋を営み、豊かな経済力で芭蕉の生活を支えた。芭蕉門下の代表的人物で、名を杉山杉風といい、鯉屋市兵衛または藤左衛門と称した。号は、採荼庵、五雲亭、蓑翁。芭蕉に第一次芭蕉庵を提供し、第三次芭蕉庵建築のための費用を枳風(きふう)とともに出資している。 |
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俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
総合目次
[特 集] 芭蕉と深川界隈
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