| [深川界隈] 芭蕉像と芭蕉関連の碑 |
深川界隈に建つ芭蕉像や芭蕉句碑、その他、芭蕉関連の石碑を掲載しています。
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芭蕉記念館 芭蕉記念館の南西角に、「野面積み」にした石の台座と草葺きの屋根の祠がある。芭蕉座像はこの祠の中に安置されている。像の大きさは30cm程。この座像は、芭蕉記念館が建てられる前は、芭蕉遺愛の石蛙とともに、付近の芭蕉稲荷に安置されていた。 |
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清澄庭園 古池やかはづ飛こむ水の音 この句碑は、昭和9年深川芭蕉庵跡(芭蕉稲荷神社)に其角堂九代目の晋永湖という神田の俳人が建てたものだが、芭蕉庵跡を整備したとき敷地が狭いために清澄庭園の現在の位置に移された。 |
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芭蕉記念館 草の戸も住み替る代ぞひなの家 「おくのほそ道」の序文に書かれた句で、元禄2年(1689年)、旅立つ前に芭蕉庵を手放し採荼庵に移った折に詠んだもの。真蹟短冊の前書に、「むすめ持たる人に草庵をゆづりて」とある。句碑は、江東区が昭和59年(1984年)に建立。 |
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臨川寺 延宝8年(1680年)深川に移り住んだ芭蕉は臨川寺開基仏頂禅師と親交が厚く、度々参禅に通ったと伝えられる。最も左の「芭蕉由緒の碑」には、美濃派の俳人神谷玄武が、蕉門各務支考により京都双林寺に建てられた芭蕉墨直の墨跡を写して臨川寺に「墨直しの碑」(右から2番目)を建てた、とある。 |
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芭蕉記念館 古池や蛙飛びこむ水の音 本句は、第二次芭蕉庵で蛙の二十番句合が興行されたときの句で、貞享3年(1686年)刊の仙化編「蛙合」に採録されている。句碑は、安永2年(1773年)4月に建立された墨田区要津寺の句碑を、真鍋儀十が昭和20年(1945年)に模刻して成ったもの。 |
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長慶寺 曹洞宗の寺で一空全鎖(いっくうぜんさ)和尚が開基。境内に発句塚、時雨塚、短冊塚とも呼ばれた芭蕉翁句塚跡があるが、戦災により大部分が消失している。句塚の表面には「芭蕉翁桃青居士」、裏面には「元禄七甲戌十月十二日」と彫られていた。傍らに其角の墓石があるが、この墓も台石あたりが一部残るのみ。 |
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芭蕉記念館 川上とこの川下や月の友 本句は、芭蕉没後の元禄11年(1698年)に刊行された「続猿蓑」に採録された句で、元禄6年に詠まれたもの。 |
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要津寺 芭蕉門弟の代表的人物服部嵐雪の「雪中庵」は長きにわたって代々受け継がれたが、墨田区千歳の要津寺には、雪中庵の俳人によって建てられた「雪中庵関係石碑群」がある。この中には庵祖嵐雪や雪中庵代々の墓の他、宝暦13年(1763年)に三世雪中庵大島蓼太が建てた「芭蕉翁俤塚」(写真)などの芭蕉関係石碑も含まれる。 |
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芭蕉庵史跡展望庭園 隅田川と小名木川の合流地点の岸辺に作られた庭園で、このあたりは芭蕉庵が建っていたところでもある。芭蕉像は庭園の中程に「三つ股」と呼ばれた合流地点を眺める格好で鎮座している。夜はライトアップされた像を見ることができる。 |
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要津寺 古池や蛙飛びこむ水の音 安永2年(1773年)、雪中庵関係の俳人が建立。芭蕉記念館に建つ同句の碑は、この碑文を模写してつくられたもの。芭蕉が遺愛した石蛙とみられる置物は現在、芭蕉記念館の展示室に保存・展示されている。 |
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芭蕉稲荷神社 芭蕉庵跡碑。大正6年(1917年)の大津波のとき、もともとあった稲荷神社付近から芭蕉遺愛のものとみられる石蛙が見つかったことからこの地を芭蕉庵跡と推定し、祠に石蛙を祭り芭蕉稲荷とした。同10年(1921年)に東京府は当地を芭蕉庵跡に指定している。芭蕉庵跡碑は、記念館ができた昭和56年(1981年)に建てられたもの。 |
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要津寺 天明2年(1782年)建立の「芭蕉翁百回忌発句塚碑」。 |
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芭蕉稲荷神社 右は「芭蕉記念館 此より北百五十米」と彫られた標柱で、左は俳聖芭蕉翁生誕参百五十年祭記念碑。 |
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亀戸天満宮 しばらくは花の上なる月夜哉 菅原道真の九百年忌を記念して、亨和2年(1802年)に建てられた。芭蕉の句の他に、雪中庵祖嵐雪、二世雪中庵吏登、三世雪中庵蓼太らの句が刻まれている。 |
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芭蕉稲荷神社 奥の細道旅立三百年記念碑。鳥居をくぐって右側にある碑で、平成元年に建てられている。境内に建つすべての石碑の地際に蛙の置物が見られる。 |
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龍眼寺 濡て行人もをかしや雨の萩 萩で知られる龍眼寺の門柱のところの石塀に彫られている句。境内には同句の石碑もある。 |
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深川江戸資料館 古池やかわず飛びこむ水の音 一般の方から寄贈されたもので、説明板には「この碑の製作年代や製作の理由などは刻銘がなくわかりませんが、彫りの形態はかなり古いもののように見うけられます」とある。 |
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富賀岡八幡宮 めにかゝる雲やしばしの渡鳥 富賀岡八幡宮の境内にある句碑で、文化2年(1805年)に建てられたもの。「めにかかる」は「日にかかる」の誤写。 |
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採荼庵跡 採荼庵跡碑。碑面には「芭蕉の門人鯉屋杉風は今の中央区室町一丁目付近において代々幕府の御用をつとめ、深川芭蕉庵もその持ち家であったが、また平野町内の三百坪ほどの地に採荼庵を建て、みずからも採荼庵と号した。芭蕉はしばしばこの庵に遊び、『白露も零さぬ萩のうねりかな』の句を詠んだことがあり、元禄二年奥の細道の旅はこの採荼庵から出立した。」とある。 |
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大島稲荷神社 秋に添て行はや末は小松川 女木塚。この句について、神社の由緒には、元禄5年(1692年)芭蕉が小名木川を下って門弟洞渓を訪ねたときに、大島稲荷神社のところで船をとめて参拝し、境内の森で川の流れを見ながら詠んだもの、とある。其日庵社中により建てられたものだが、建立年は不明。境内には小林一茶の句碑もある。 |
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採荼庵跡 海辺橋の南詰の採荼庵跡に、旅装束の芭蕉像が見られる。芭蕉は、元禄2年(1689年)の3月上旬、隅田川と小名木川の合流地点の岸辺にあった芭蕉庵を手放して採荼庵に移り、同月27日に「おくのほそ道」の旅に出るまで仮住まいをした。 |
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大島稲荷神社 五月雨をあつめて早し最上川 第六代宮司によって平成元年に建てられたもの。碑面に「俳聖 松尾芭蕉 奥の細道旅立三百年記念句碑」とある。 |
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俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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[特 集] 芭蕉と深川界隈
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