| 草加宿・旧日光街道を歩く |
草加市について 草加市は埼玉県東南部に位置する新興工業都市で、江戸時代には千住の宿に次ぐ日光街道第二の宿駅・草加宿として繁栄し、さらには灌漑用水の開削や新田開発などを行って江戸幕府の台所を支える穀倉地帯となり、幕府の直轄領として発展した。 草加宿南端の地蔵堂 日光街道第二の宿駅は、この旧道沿いに築かれ賑わいをみせたが、その南端に位置したといわれるのが草加市役所前の地蔵堂である。近代的な街中の一角に取り残されたように鎮座する地蔵堂は、江戸中期、豪商大和屋・浅古半兵衛が邸内に建てたものと伝えられ、堂内には石造りの地蔵菩薩立像が安置されている。 草加神社の標柱 地蔵堂から北に向かって100mほど進むと、宿場町の雰囲気がただよう旧家の北側に、大正4年(1915年)に建立された草加神社の標柱が見られる。草加神社は旧南草加村の鎮守で、明治42年までは氷川神社と称していた。本殿は天保年間(1830年〜1844年)、拝殿は江戸末期の建立と伝えられる。石造りの鳥居には、「氷川神社」の旧名が掲げられている。 草加宿下三町の鎮守・八幡神社 交差点から70mほど行くと、旧道の右側に誉田別尊(ほんだわけのみこと。応神天皇)、菅原道真、保食神(うけもちのかみ)、須佐之男命(すさのおのみこと)を祭神とする八幡神社の鳥居や参道が見られる。 おせん茶屋 八幡神社から500mほど行くと道の右側に「おせん茶屋」がある。ここは、草加せんべいの祖といわれる「おせんさん」にちなんで名付けられた小公園で、園内には、宿場の雰囲気が漂う茶店風の休憩所や高札を模した掲示板などがあり、休憩所の前には「日光街道」の標柱が建てられている。 大川図書の墓がある東福寺と大川図書 おせん茶屋の向かい側に松寿山不動院と号する東福寺の参道入口がある。入口に「松寿山」、「東福寺」と刻む1対の石柱が建ち、山門までの長い参道が続いている。川口市安行原・密蔵院満福寺の末寺、東福寺は、僧賢宥により開山され、草加宿の開発を手がけた大川図書(ずしょ)が慶長11年(1606年)に創建したと伝えられる。境内には、山門、本堂、大師堂、護摩堂、鐘楼が建ち、四脚門切妻造りの山門、本堂の彫刻欄間、柱上に彫刻を施された鐘楼は市の文化財に指定されている。広大な墓地の一角に大川図書の墓や江戸落語を中興した石井宗叔の墓がある。 草加宿の総鎮守・神明神社 旧日光街道と県道足立・越谷線との分岐点付近に、天照大神を祭神とする神明神社がある。神明神社は、「風稿」の中で「宿内の惣鎮守として土人市神と称す、村持」と書かれ、「草加見聞史
全」によれば、元和(1615年〜1624年)の初め、一人の村人が宅地内に自然石を神体とする小社を建てたのが始まりで、正徳3年(1713年)草加宿組9ヶ村の希望により宿の総鎮守として現在地に移されたという。 おせん公園 「おせん公園」は神明神社の北側にあり、その脇を伝右川が流れている。公園にはせんべいに見立てた「草加せんべい発祥の地碑」が建ち、その隣には、せんべいを焼くときに使用する火箸に見立てた角柱の碑が建てられている。 |
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俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
総合目次
第16集 芭 蕉 と 草 加
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