日光資料写真と解説(10)
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含満ヶ淵。 大谷川(だいやがわ)が、男体山から吹き出した溶岩の上を滑るように、あるいは淀みをつくりながら流れる含満ヶ淵は、古くから不動明王が現われる霊地と言われる。 水流の響きが不動明王の呪文のように聞こえたので、僧晃海が、呪文の一句「憾満(かんまん)」をとって「憾満ヶ淵」と名付けたと伝えられる。現在は含満ヶ淵と書く。 |
| 含満ヶ淵・慈雲寺。 慈雲寺は、承応3年(1654年)、含満ヶ淵を開いた晃海が創建し、阿弥陀如来と師の慈眼大師天海の像を祭った。当時の建物は明治35年(1902年)の洪水で流失し、昭和48年(1973年)に現在の本堂が再建された。 芭蕉は元禄2年(1689年)4月2日(新暦5月20日)、この含満ヶ淵を訪れた。 天気快晴。辰ノ中尅、宿ヲ出。ウラ見ノ瀧(一リ程西北)、カンマンガ淵見巡、漸ク及午。(随行日記) |
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含満ヶ淵・並び地蔵。 南岸の散策路沿いに、慈眼大師天海の弟子約100名が寄進した地蔵が並んでいる。明治35年(1902年)の洪水で親地蔵と他の地蔵がいくつか流され、100体近くあったのが70体ほどになっている。 地蔵を数えるたびに数が異なるといういわれから「化け地蔵」とも呼ばれる。 |
| 含満ヶ淵・弘法の投筆。 「並び地蔵」近くの対岸に「カンマン」の梵字が彫られ、「弘法の投筆」と呼ばれる巨岩(写真の右側)がある。そのいわれは、弘法大師が筆を投げつけて彫ったという伝説からだが、実際は晃海が能書家に彫らせたものとか。 かつてはこの岩の上に2m余りの不動明王の石像があったという。 |
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俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
総合目次
第18集 芭 蕉 と 日 光
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