| 【田村神社・甲冑堂について】
佐藤継信・忠信兄弟の妻の像を祭る甲冑堂は、福島と宮城の県境と白石市中心部との中間ほどに鎮座する田村神社の境内にあり、御影堂、故将堂などとも呼ばれる。かつては、神仏が同居し、同敷地に別当寺真言宗遊王山高福寺が建てられていた。芭蕉と曽良が元禄2年(1689年)5月3日に拝観した甲冑堂は、明治8年(1875年)の6月に放火で神社とともに焼失し、当時の様子を窺い知ることはできない。現在の甲冑堂は昭和14年(1939年)12月3日に再建されたもので、継信、忠信の妻の話(「佐藤一族と義経について」参照)が国定教科書高等小学校読本でとりあげられたのをきっかけにして、甲冑堂再建の気運が高まり、寄付金などにより実現できたという。
田村神社(1) (2) 甲冑堂 佐藤継信、忠信の妻の木像
【「鐙摺」の遺跡について】
馬牛沼から500mほど北に行くと国道4号から右に分離する道がある。これが芭蕉一行が旅した奥州街道で、この道沿いに「鐙摺」の遺跡がある。(「鐙」は乗馬のときに足をかける馬具のこと)
「鐙摺」の遺跡
「鐙摺」の遺跡は、「鐙摺石」という巨大な岩石があったところで、源義経一行が平泉に向かう際に、馬の鐙を摺って通ったという伝説が残っている。「アブミズリ石」は「アブミコワシ石」とも言われた。曽良日記には「アブミコブシ」と書かれている。
さい川ヨリ十町程前ニ、万ギ沼・万ギ山有。ソノ下ノ道、アブミコブシト云岩有。
鐙摺石の写真
【義経の腰掛松について】
金売吉次に誘われ奥州平泉に向かう際、源義経が当地で休息し赤松の木に腰を掛けたという。この赤松は文政年間に焼けたが、2代目(樹齢200年)の傍らにその焼けた赤松の根幹が残されている。
「義経の腰掛松」の写真 焼けた赤松の根幹 |