| 松尾芭蕉の旅 おくのほそ道 | ||||
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| おくのほそ道 二十七 | ||||
| 瑞巌寺の章段 |
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| 十一日、瑞岩寺に詣。 | 十一日、瑞岩寺に参詣した。 | |||||
| 当寺三十二世の昔、真壁の平四郎出家して入唐、帰朝の後開山す。 | この寺の三十二代目にあたる昔、真壁平四郎という人が出家して唐に渡り、帰国後、再興して禅寺を開いた。 | |||||
| 其後に雲居禅師の徳化に依て、七堂甍改りて、金壁荘厳光を輝、仏土成就の大伽藍とはなれりける。 | その後、雲居禅師の、徳によって人を善に導く努力により、七つの堂の建物が立派に改築され、金色の壁や仏前の飾りが光り輝き、仏の住む世界をこの世に実現する大寺院となったのである。 | |||||
| 彼見仏聖の寺はいづくにやとしたはる。 | かの見仏上人の寺はどこにあるのだろうと、慕わしい心持ちになった。 | |||||
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[語 釈] |
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「十一日」については、上の「旅のあらすじ」参照。 「瑞岩寺」は「瑞巌寺」こと「松島青龍山瑞巌円福禅寺[資料]」。「天台記」に天長五年(828)慈覚大師円仁の創建とある。はじめ天台宗青龍山延福寺。正元元年(1259)ごろ法身禅師(真壁平四郎)を迎え臨済宗円福寺となる。次代に宋の高僧大覚禅師を招聘。十三世紀末を頂点に東北最大の禅院として繁栄するが戦乱期を迎えて衰退。慶長九年(1604)、伊達政宗が自ら縄張りをし円福寺の再興に着手。慶長十四年(1609)三月二十六日大伽藍が落成し現在に至る。本堂(方丈)と庫裡は国宝。 |
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「真壁の平四郎」は、法身禅師[資料]で、常陸国(現在の茨城県)真壁郡に生まれる。「入唐」、実際は宋に渡り、径山寺の無準禅師、仏鑑禅師無準師範に参禅。帰国後、諸国遍歴の旅中、松島の延福寺に滞在のとき執権北条時頼と遭遇。これを機縁に、臨済宗円福寺を開山、住持となる。 |
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「雲居禅師[資料]」は、天正十年(1582)伊予国(現在の愛媛県)に生まれる。俗称小浜氏で、把不住軒を号す。仙台藩祖伊達政宗および子忠宗の二代にわたる招聘に応じ、政宗が没した寛永13年(1636)の八月、五十五歳の時に摂津・勝尾山から徒歩で来松。瑞巌円福禅寺九十九代住持となり中興開山した。万治二年(1659)、七十八歳で没。 「徳化(とっか)」は、「徳のために善に移り変わる」意。 |
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「見仏聖」は見仏上人。伯耆国(鳥取県)の人。長治元年(1104)に松島の雄島に渡る。島内に篭り、法華経六万巻をひたすら読誦して法力を身に付け、鬼神を使い、奇蹟を起こしたと伝えられ、西行仮託の仏教説話集「撰集抄」にその超能力ぶりが語られている[資料]。 「見仏聖の寺」は、雄島にあった見仏堂(妙覚庵)。 |
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「おくのほそ道」のテキストについて
本テキストは、俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース
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