| 松尾芭蕉の旅 おくのほそ道 | ||||
| 俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース |
| おくのほそ道 十四 | ||||
| 安積山の章段 |
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| 等窮が宅を出て五里計、桧皮の宿を離れてあさか山有。路より近し。 | 等躬の家を出立して五里ばかり歩いたところに桧皮の宿があり、そこを過ぎたあたりに、かの安積山がある。街道からすぐのところである。 | |||||
| 此あたり沼多し。かつみ刈比もやゝ近うなれば、いづれの草を花かつみとは云ぞと、人々に尋侍れども、更知人なし。 | このあたりは沼が多い。かつみを刈って軒にさす時節もそろそろなので、どの草を花かつみというのかと、土地の人々に尋ねても、いっこうに知る人がいない。 | |||||
| 沼を尋、人にとひ、かつみかつみと尋ありきて、日は山の端にかゝりぬ。 | 沼のあたりを探したり、人にどこにあるかを聞いたり、「かつみ、かつみ」と尋ね回っているうちに、気がついてみると、日は山の端にかかっていた。 | |||||
| 二本松より右にきれて、黒塚の岩屋一見し、福島に宿る。 | 二本松から右に曲がって行き、黒塚で岩屋を少しばかり見物し、福島に宿をとった。 | |||||
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次 前 14 安積山 |
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[語 釈] |
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須賀川宿の相楽等躬宅。芭蕉は当家に、四月二十二日から二十九日まで八日間滞在。出立当日、芭蕉は、等躬が用立てた馬で、石川街道から乙字ケ滝(石河の滝)を目指した。二十八日の予定が雨のため一日遅延しての出立となった経緯については、次の「随行日記」や「俳諧書留」の条に詳しい。 廿八日 発足ノ筈定ル。矢内彦三郎来テ延引ス。昼過ヨリ彼宅ヘ行テ及暮。十念寺・諏訪明神ヘ参詣。朝之内、曇。 廿九日 快晴。巳中尅、発足。石河滝(乙字ケ滝)見ニ行。(此間、さゝ川ト云宿ヨリあさか郡)須か川ヨリ辰巳ノ方壱里半計有。 (「随行日記」) 須か川の駅より東二里ばかりに、石河の滝(乙字ケ滝)といふあるよし。行て見ん事をおもひ催し侍れば、此比(このごろ)の雨にみかさ増りて、川を越す事かなはずといヽて止ければ、 さみだれは滝降りうづむみかさ哉 翁 案内せんといはれし等雲と云人のかたへかきてやられし。薬師(医師)也。 (「俳諧書留」) |
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「桧皮」は、安積郡日和田(郡山市日和田町)。奥州街道の宿駅。 「あさか山[資料]」は、奥州街道沿いに隆起する日和田宿・高倉宿間の小丘「安積山」。「万葉集」巻十六の采女[資料]の歌「安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心を吾思はなくに」で名高い歌枕。 |
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「沼多し」の「沼」は、昔、安積山の南西方向にあった歌枕「安積沼[資料]」の名残の沼。当時の「此あたり」の様子が、「随行日記」に記されている。 五月朔日 天気快晴。日出ノ比、宿ヲ出、壱里半来テヒハダ(日和田)ノ宿、馬次也。町はづれ五、六丁程過テ、あさか山有。壱り塚ノキハ也。右ノ方ニ有小山也。アサカノ沼、左ノ方谷也。皆田ニ成、沼モ少残ル。惣テソノ辺山ヨリ水出ル故、いづれの谷にも田有。いにしへ皆沼ナラント思也。 (「随行日記」) |
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「かつみ(花かつみ)[資料]」の文学への登場は古く、奈良時代の「万葉集」にまでさかのぼる。 をみなへし佐紀沢に生ふる花かつみ かつても知らぬ恋もするかも 中臣女郎 (「万葉集」) また、平安期の「古今和歌集」や「狭衣(さごろも)物語」にも「花かつみ」を詠んだ歌が見られる。 みちのくのあさかのぬまの花かつみ かつ見る人に恋やわたらん よみ人しらず (「古今和歌集」) 花かつみかつ見るだにもあるものを 安積の沼に水や絶えなむ はかなげに言ひなしたる様・けはひなど、めでたしとはなけれども、 なべてならずあはれに思さる。 年経とも思ふ心しふかければ 安積の沼に水は絶えせじ かく、いと浮きたるさまと思とも、今、心の程は見給ひてん。 (「狭衣物語」) 能因の次の歌にあるように、「花かつみ」については「菰(こも)、真菰(まこも)」とする説と、「菖蒲(しょうぶ)、アヤメ」とする説の二つがあり、そのいずれかは今も不明。地元の郡山市は、「花かつみ」をアヤメ科の多年草「姫シャガ」として、市花に指定している。 菰の花の咲きたるを見て はなかつみおひたるみればみちのくの あさかの沼のこゝちこそすれ 能因 (「能因集」) |
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「二本松」は、奥州街道の、日和田宿から四つ先の宿駅。現在の二本松市。当時、二本松藩十万石、丹羽氏二代長次の治世下にあった。 「右にきれて」は「右に曲って」で、二本松宿の出口(北端)の先に、奥州街道から「供中の渡し」に続く小道[資料]があった。芭蕉は、この渡しで阿武隈川を越え、「黒塚」(真弓山観世寺)に向っている。 |
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「黒塚」は、「安達ケ原の鬼婆」伝説[資料]の地で、平兼盛の歌「みちのくの安達ケ原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか」(「拾遺和歌集」)で知られる歌枕。「黒塚」全般について詳しくは「芭蕉と二本松」の[資料]を参照。 |
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五月一日に一泊した福島の宿については、「随行日記」に「宿キレイ也」とあるだけで、詳細は不明だが、「福島市史-近世U」によれば、当時、城下で旅籠屋があったのは北町付近で、明治期、地元の俳人達は、同町内にある石橋「翁橋」を芭蕉ゆかりの史跡として注目していたという。 |
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「おくのほそ道」のテキストについて
本テキストは、俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース
および、FLASHムービー「 おくのほそ道を行く」の副読本
としてLAP Edc. SOFTが制作したものです。
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