| 松尾芭蕉の旅 おくのほそ道 | ||||
| 俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース |
| おくのほそ道 十一 | ||||
| 遊行柳の章段 |
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| 又、清水ながるゝの柳は蘆野の里にありて田の畔に残る。 | また、西行が「道のべに清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」と詠んだ柳は、芦野の里にあり、田の畔に残っている。 | |||||
| 此所の郡守戸部某の此柳みせばやなど、折ゝにの給ひ聞え給ふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日此柳のかげにこそ立より侍つれ。 | この地の領主の戸部なにがしが「かの柳をお見せしたい」などと、折々におっしゃっていたので、どの辺にあるのかと思っていたが、今日、とうとうこの柳の陰に立ち寄ったのだった。 |
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| _田一枚植て立去る柳かな | 遥かと思っていた柳が目の前にあり、その木陰でしばらく安らかにしていると、いつのまにか、田植えが一枚分終わって早乙女たちの声が消え、ぽつんととり残されてしまった。それでは、私もここを立ち去って旅を続けるとしよう。 | |||||
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[語 釈] |
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「蘆野の里」は、那須町芦野。かつて、奥州街道の宿駅。 「清水ながるゝの柳」は、芦野にある柳の木「遊行柳[資料]」のこと。西行の歌「道のべに清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」(「新古今和歌集」)に触れたもの。室町後期、観世信光(1435-1516)は、この歌を主題に謡曲「遊行柳」を創作。これにより広く世に知られ、歌枕の地となった。現在見られる「遊行柳」は昭和三十年代に植えられたものだが、何代目にあたるかは不明。 |
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「郡守戸部某」は、元禄五年(1692)五十六歳で没した十九代芦野民部資俊。「民部」を「戸部」としたことについては、対象の人物をぼかすために、民政・財政を司る役所の称「民部」を唐代の呼び名「戸部」に変えたとされる。 |
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芦野民部資俊の言で「この柳をお見せしたい」の意。「ばや」は、自己の願望を表す終助詞。 |
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「こそ〜つれ」は係り結び。「つれ」は完了の助動詞「つ」の已然形。上の西行の歌に触れ、「今日こそこの柳の陰に立ち寄った次第である」と、ついに望みが叶った喜びを表したもの。 |
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本テキストは、俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース
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