| 松尾芭蕉の旅 野ざらし紀行 | ||||
| 俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース |
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| 野ざらし紀行 十四 | ||||
| 大顛和尚の訃報、熱田 |
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| 伊豆の国蛭が小島の桑門、これも去年の秋より行脚しけるに、我が名を聞て、草の枕の道づれにもと、尾張の国まで跡を慕ひ来りければ、 | 伊豆の国、蛭が小島出の僧もまた、去年の秋から行脚していたのだが、わたしの名を聞いて、一緒に旅をさせてくださいと、尾張の国まで、跡を追ってきたので、 | |||||
| _いざともに穂麦喰はん草枕 | 穂麦を食べる覚悟ができていれば大丈夫です。さあ、一緒に旅をつづけましょう。 | |||||
| 此僧予に告げていはく、円覚寺の大顛和尚今年睦月の初 |
この僧がわたしに言うには、円覚寺の大顛和尚が今年の正月の初めに、遷化せられたとのこと。ほんとうに、夢の中のことと思われたが、ともあれ、旅先から其角のもとへ手紙を遣わした。 | |||||
| _梅恋ひて卯花拝む涙哉 | 大顛和尚と和尚が愛した梅の花を恋い慕い、わたしは今、折節の卯の花を眺めながら、涙するばかりである。 | |||||
| 杜国に贈る | 杜国に贈る | |||||
| _白芥子に羽もぐ蝶の形見哉 | 当地を離れ、貴殿と会えなくなるのは、羽を休めていた白芥子の花に、蝶がその羽をもぎ取って、形見に残して行くほどの辛さがありますよ。 | |||||
| 二たび桐葉子がもとに有て、今や東に下らんとするに、 | ふたたび桐葉のもとに留まり、いよいよ関東に下ろうとするときに、 | |||||
| _牡丹蘂深く分出る蜂の名残哉 | たいへんお世話になりました。私の今の心のうちは、牡丹の花びらの奥でたっぷりと蜜を押しいただき、そこから名残おしげに飛び立っていく蜂とおなじです。 | |||||
| 【参考資料】 江戸へ旅立つ前の芭蕉の動向 | ||||||
| 三月二十六日 熱田で、木因宛書簡を執筆。本書簡に「本統寺様に三日逗留」とあることから、水口から熱田に至る間に、桑名本統寺に三日間滞在したことが分る。本書簡を熱田の何処で執筆したかは不明。また同書簡に、「尾張・熱田にて五、三日休息。何とぞ独(ひとり)木曽路の御無事に御坐候哉」とある。 |
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| 三月二十七日 熱田の白鳥山法持寺で、芭蕉、叩端、桐葉を連衆とする三吟歌仙あり。 何とはなしに何やら床し菫草 芭蕉 編笠敷きて蛙聴居る 叩端 田螺割る賤の童の暖かに 桐葉 公家に宿貸す竹の中道 芭蕉 (以下略) (三吟歌仙 「熱田三歌仙」) 熱田で、桐葉、芭蕉、叩端、閑水、東藤、工山、桂楫を連衆とする七吟歌仙あり。 つくづくと榎の花の袖に散る 桐葉 独り茶を摘む藪の一家 芭蕉 日影山雉子の雛を追はへ来て 叩端 清水をすくふ馬柄杓に月 閑水 (以下略) (七吟歌仙 「熱田三歌仙」) |
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| 四月四日 鳴海の知足を訪ね(桐葉・叩端、同道)、一宿(知足斎々日記)。芭蕉、知足、桐葉、叩端、ぼく言、自笑、如風、安信、重辰を連衆とする九吟二十四句あり。 杜若我に発句の思ひあり 芭蕉 麦穂波寄るうるほひの末 知足 二つして笠する烏夕暮れて 桐葉 帰さに袖を漏れし名所記 叩端 (以下略) (九吟二十四句 「幽蘭集」) |
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| 四月五日 熱田に戻り、其角宛の書簡を執筆。 「知足斎々日記」の当日条に「桃青宮へ今朝御帰り」とある。 |
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| 四月九日 鳴海の知足を訪ねて一宿。 「知足斎々日記」の当日条に「江戸深川本番所森田惣左衛門殿御屋敷松尾桃青芭蕉翁一宿、如意寺にて俳諧歌仙有」とある。 芭蕉行脚のころ 夏草よ東路まとへ五三日 知足 笠もてはやす宿の卯の雪 芭蕉 (発句・脇 「千鳥掛」) |
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| 四月十日 鳴海の知足亭から江戸へ発つ。 「知足斎々日記」の当日条に「桃青丈江戸へ御下り」とある。 |
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| [語 釈] | ||||||
源頼朝が、島流しで、十四歳の時から約二十年間過ごしたところ。静岡県田方郡韮山町。 |
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鎌倉円覚寺第百六十四世。其角参禅の師。俳号、幻吁。 |
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芭蕉が、其角に遣わした書簡内容は、次の通り。 草枕月をかさねて、露命恙もなく、今ほど帰庵に趣き、尾陽熱田に足を休る間、ある人我に告て、円覚寺大顛和尚、ことし睦月のはじめ、月まだほの暗きほど、梅の匂ひに和して遷化したまふよし、こまやかに聞え侍る。旅といひ、無常といひ、悲しさいふかぎりなく、折節の便りにまかせ、先一翰投 梅恋て卯花拝む涙かな はせを 四月五日 其角雅生 |
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杜国は、坪井氏で名古屋の人。富裕な米商に生まる。貞享元年、名古屋に於ける「冬の日」五歌仙に一座。元禄三年三月没す。享年三十余歳。 貞享二年、杜国は空米売買に連座して家財没収のうえ所払となって三河の畠村に逼塞し、のち保美に隠棲した。芭蕉は、貞享四年の「笈の小文」の旅次、杜国と伊良古崎で再会し、次の句を吟じている。本句は、芭蕉が杜国をしばしば夢に見ていたが、その夢が現実となった喜びを、「いらこ鷹」に託して表現したもの。 杜国が不幸を伊良古崎にたづねて、鷹のこゑを折ふし聞て、 夢よりも現の鷹ぞ頼母しき (鵲尾冠) 杜国に「白芥子に羽もぐ蝶の形見哉」の句を贈ったのが、名古屋で面談の上か否かは不明。 |
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