| 松尾芭蕉の旅 鹿島紀行 | ||||
| 俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース |
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| 鹿島紀行 四 | ||||
| 仏頂禅師を尋ねて、観月の句集 |
| 麓に 根本寺のさきの和尚、今は世をのがれて、此処におはしけると云を聞て、尋ね入て臥ぬ。 | 根本寺の山の麓に、当寺の前の和尚の仏頂禅師が、今は俗世をのがれ閑居しておられるということを聞いたので、訪ねて泊まらせてもらった。 | |||||
| すこぶる人をして深省を発せしむと吟じけん、しばらく清浄の心をうるに似たり。 | 「人をして深省を発せしむ」、すなわち、奉先寺において、杜甫が、人に深い悟りの心を抱かしめると詠んだ折の心境は、和尚のこの清閑な佇まいの中で、しばし得られる清浄な心と、すこしく似ている。 | |||||
| 暁の空いささかはれ間ありけるを、和尚おこし驚し侍れば、人々起出ぬ。 | 明け方の空にやや晴れ間があったので、月見は今こそと和尚が起こしてくださると、人々は皆起き出でた。 | |||||
| 月の光、雨の音、只あはれなるけしきのみむねにみちて、いふべきことの葉もなし。 | 月の光、雨の音といった情景がしみじみと心に感じられ、相応しい言葉が見つからず、句を案じることができない。 | |||||
| はるばると月見に来たるかひなきこそ、ほいなきわざなれ。 | はるばると月を見に来た甲斐がないというのは、実に残念なことである。 | |||||
| かの何がしの女すら、時鳥の歌えよまで帰りわづらひしも、我ためにはよき荷担の人ならんかし。 | かの清少納言であっても、田舎の光景や習俗、馳走に心を奪われて、時鳥の歌を詠みそびれたというので、私にとって、清少納言は心強い味方ということになるだろう。 | |||||
| おりおりにかはらぬ空の月かげもちぢのながめは雲のまにまに 和尚 | その折その折も変わらぬ天空の月ではあるのだが、流れ移る雲のまにまに、種々さまざまに変化した姿を見せてくれるのであるよ。 | |||||
| _月はやし梢は雨を持ながら 桃青 |
雲足が速いので、梢の雨滴の先に輝ける今夜の月は、天を駆けているように見えるよ。 | |||||
| _寺にねてまことがほなる月見かな 桃青 |
寺に宿し、師とともにする月見は、日ごろに興じる会席の折と異なって、気が付けば、悟りを得たような顔つきで、天を仰いでいるよ。 | |||||
| 雨にねて竹おきかへる月見かな 曽良 |
雨と諦めて寝入ったが、雲が切れたと聞かされて、雨後に起き返る竹のように蒲団から立ち上がり、月見をしたことである。 | |||||
| 月さびし堂の軒端の雨しづく 宗波 |
しみじみと月を眺めている傍らで、堂の軒端から雨しづくが落ちている。静かにひびき伝うその音に、満了した月の寂しさを聞く思いがするよ。 | |||||
| [語 釈] | ||||||
「麓」は、むかし鹿島城があった城山の麓。城山は根本寺の北東、五百メートルほどのところにある。芭蕉一行は「麓に」仏頂和尚を訪ねたが、当時、和尚は根本寺を退き、山内にある北寺の塔頭に住まっていた。一行は、この塔頭に止宿した。 仏頂和尚は、寛永十九年(一六四二)常陸国(茨城県)に生まれ、八歳で冷山和尚の根本寺に入り禅門の道を歩んだ。明暦元年(一六五五)、十四歳の春、諸国の名僧との出合いを求めて旅に出、延宝二年(一六七四)、三十三歳の時、根本寺を受け継ぎ二十一世住職となっている。 |
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臨済宗妙心寺派、瑞甕山根本寺。推古天皇の勅命により、聖徳太子が創建。開祖は高麗の僧正恵潅。初めは三輪宗、後に法相宗、天台宗となり、貞治二年に禅宗となった。鎌倉期は、幕府の庇護を受けて武家の信仰を集め、文永、弘安の蒙古襲来の折は、後宇多天皇の命で追討の祈祷を行った。南北朝の頃、一時衰退したが、貞和二年に鹿島氏の支援により教外徳蔵和尚が修営し、以後同氏の氏寺として栄えた。天正十九年の鹿島氏滅亡後、当地を知行地とした佐竹氏一族の東義久が寺領を寄進した。江戸時代は、徳川氏より鹿島神領のうち朱印地百石を寺領として給されていた。 |
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杜甫の詩「遊龍門奉先寺」中の「令人発深省(人ヲシテ深省ヲ発セシム)」による。 已従 已ニ招提ノ遊ビニ従イ、更ニ招提ノ境ニ宿ス、陰壑ハ虚籟ヲ生ジ、月林ハ清影ヲ散ズ、天闕ニ象緯逼リ、雲ニ臥スレバ衣裳冷ヤヤカナリ、覚メント欲シテ晨鍾ヲ聞ク、人ヲシテ深省ヲ発セシム。 |
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「驚(おどろか)す」に、起す、目を覚まさせるの意あり。 |
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「あはれなるけしき」を前にして「これを詠む句がなかなか思い浮かばない」の意。 |
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「ほいなき」は「本意無き」で、不本意、残念に思う意。「わざ」は、事、ありさま。 |
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「かの何がしの女」は清少納言。「時鳥の歌えよまで帰りわづらひし」は、枕草子の「五月の御精進のほど」に書かれた話を引いたもの。これには、清少納言が、退屈まぎれに「徒然なるを時鳥の声尋ねありかばや」と話したのに女房たちが同調し、四人ばかりで賀茂の社の奥に出向く。そこで明順の朝臣の家を訪ね、希望通りにホトトギスの鳴き声を聞くことができたのだが、田舎の光景や習俗、馳走に心を奪われて、結局歌を詠むことが出来なかったことが記されている。 |
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力添えをしてくれる人、味方する人。 |
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本句は、同じ句形で「続猿蓑」にも所収。その前書に「鹿島に詣ける比、宿根本寺」とある。「宿根本寺」としたのは、芭蕉一行の鹿島の宿泊先、すなわち仏頂禅師の住まいが、根本寺山内の北寺の塔頭だったことに依る。 |
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